最近の記事
♪♪♪万博が生んだ史上最強の行進曲🇦🇹エドゥアルト・シュトラウス1世:〈ウィーン万博行進曲〉変ホ長調Op・107 ( ※1873年 )♪♪♪
↑の動画、アメリカ在住の小田川工博士の弾くピアノ🎹ソロ版でのオリジナル演奏。これが現在、一般市場にある、我々が耳にできる、この作品の唯一の音源に他ならない。 残念ながら、フル管弦楽によるレコード録音源、及び、それを聴くべき手段は今の時点では何も存在しない。さらに皮肉な話にも、1873年当時、この行進曲の管弦楽譜は出版すらされていない。ピアノ🎹2手譜のみが、カール・アントン・シュピーナに次ぐ当時のシュトラウス中期作品専属の契約出版家にあったローカルなウィーンのフリードリヒ・シュライバーの手で刊行されたにすぎない。惜しいことにも、エドゥアルト自身のこの機会的作品の自筆譜も1907年の焼却行為により、工場の暖炉の中で灰と化し、全ては歴史の謎・幻へと消えたのだ。故に、この傑作の初演の管弦楽による実演の響きが、実際にどの様なものであったかを知る歴史の証言や手がかりに熟知・精通した人は皆無に等しいというのが正直な話だろう。また、その初演が、1873年当時、落成後間もなかった楽友協会大ホールなどのコンサートホールや娯楽施設などの制限された小規模な空間ではなく、ヨーゼフ・ランナーや父ヨハン1世の代から、シュトラウス・ファミリーほかの多数の作品のあれこれの初演場所・演奏場所として所縁が深かった、かつての宰相・外相メッテルニヒの旧官房( ※現在は連邦首相官房として現存し活用されている建物 )やホーフブルク新王宮やブルク門、ヘルデン・プラッツ( ※英雄広場 )にも距離近くの場所にあった王立フォルクスガルテンにおける野外コンサートで行われたという点からも、この野心作の持つ壮大なエネルギーの発情の音楽性・スケールに見合わせるべくして、作曲者はかなり大胆極まりない演奏効果の辺り一面への拡散を意図し狙って、野外での初演を選んだのは実に初めから周到に計算され考え尽くされた的確な判断であったと捉えられるべきものだろう。これは筆者独自の私見・自論域になるが、ドナウ河畔の都での初の万博開催記念を祝うべくして、1873年5月1日のウィーン初演では、作品演奏と並行して、花火の打ち上げなどの何らかのサプライズが行われた可能性も想像に難くない。そんな、一都・街をあげてのスペクタクルな特別な祝いの記念行事イベントにあっただろうと推察できるわけだ。 だから、1873年5月1日にウィーンの環状道路・リンクシュトラ-セ沿いの王立フォルクスガルテンの野外コンサートで行われたシュトラウス楽団による初演のオリジナルな黄金の管弦楽による響きを直接耳にできた人々は相当な強運に恵まれていた人々であった点は申すに及ばない話。まさに、一期一会の歴史的演奏にあったわけだ。聴衆たちの中には、ウィーン市民以外にも、この行進曲の初演を偶然に聴いた外国からの万博訪問者たちも多く混じっていたハズだ。その後、エドゥアルトが、この行進曲をウィーンで再演奏したのか否かの詳細に関しては、典拠となる基本資料やデータ、当時、公に印刷された演奏会用チラシが何も残ってなく、ここでの詳述判断ができない未知の隠された謎に包まれた状況となっている。ただ一つ言える点は、ウィーン市内外にあるいくつかの図書館や楽友協会のアルヒーフなどに行けば、何かしらの有益な、この歴史的な響きを放つ行進曲の初演にまつわる有力な手がかりや細部のディティール情報が得られる可能性・線は否定できない。 上部にアップした動画に聴かれる小田川博士の演奏も、このフリードリヒ・シュライバーが1873年刊行のピアノ🎹2手譜に基づいたオリジナル演奏である。それ故に、我々は、このシュライバーが唯一、当時、一般向けに出版したビアノ2手譜より、初演の管弦楽によるシュトラウス楽団の黄金に輝く響きを独自に連想・類推する以外、決定的手段がない乏しい欠陥し見落とされた難状況下にある。 シュトラウス一族が書いた行進曲としては異例の規模と長さの、8分を越える総演奏時間を要する大作となっている。これに匹敵する長さの行進曲は、同じ〈変ホ長調〉の調整採用を持つ長兄ワルツ王シュトラウス2世の〈スペイン行進曲〉Op・433ぐらいが例に挙げられる程度にすぎない。内容的には、力強い男性的な主部の楽想展開と、転じて、落ち着いたショパンを思わせるサロン風な響きのトリオ部のロマン風な色合いのとれた厭世的な詩情感への推移が美しい特有な幻想的効果を創り出している。 まだウィーンフィルは、新年のニューイヤーコンサートでは1度も演奏履歴が無く手が及んでいな未着状況にあるが、コンピューター技術が著しく発展した目覚ましい現在にあっては、合成による管弦楽音源を作り出し再現して見せることも困難な次元域ではないだろうが、それでは味気無いし、つまらない。いつかは、本家本元のウィーンフィルが、完全なフルオーケストラ版で、1873年当時ウィーンの地で公に出版されたシュライバーのピアノ2手譜から、誰かウィーン在住のシュトラウス音楽に精通した有力な音楽学権威者らエキスパートの膨大な、当時に、多く一般家庭向けに出回ったピアノ2手譜などを基準に楽譜検討作業から入念に割り出された、長年に及ぶ時代考証の研究成果とその忠実な反映・定着化を徹底して探り続けた形ある証として、新規で全てのオーケストラ用各パート声部譜を作成・用意し、ピアノ譜から得られるおおまかな細部情報やデータをベースにフル活用・応用させ、新規で再オーケストレーション構成を施した管弦楽譜に基づいて、我々音楽ファンの耳元に、黄金に輝く楽友協会大ホールの舞台上で、この歴史へと消えた幻の力作を威風堂々然と、1873年のドナウ河畔沿いの帝都での歴史的万博の良くも悪くもあった全ての想い出が詰まった至高の極みにある隠された稀有な傑作として再現蘇演してくれるハズであろう可能性に、おおいなる期待をかけたい。まさに、万博が生んだ野心的で大胆な、史上最強の行進曲の形式枠によった万博風作品であった点に異論は何も残らない。例え、上記の演奏動画に聴かれる様な小田川工博のピアノ🎹独奏による様な単独演奏であっても、かなりのシンフォニックでヴィルトゥオーソを駆使した技術が強いられる難曲レパートリー部類に入る点も重ねて異論は無い。未練は増すばかりだ。いつか、ウィーンフィルが優先的にニューイヤーか何かの機会にプログラム上で演ってくれるものと考える。その他にも、ローカルなウィーン・ヨハン・シュトラウス管弦楽団などにも期待がかかる。 楽聖ベートーヴェンのエロイカ( =交響曲第3番 )と同様、主部は力強く勇ましいフラット♭記号3つの〈変ホ長調、Es-Dur〉調整を採用。 ◎初演日に関しては、異説もある様だが、現況では、1873年5月1日に、ウィーンの王立フォルクスガルテンのカフェでの野外コンサートにて行われた説が有力な見方・見解となっている。又、この日は、ウィーン万博が公式に開幕したオープニング初日に当たってもいた。恐らくは、この大行進曲の初演も、それに意識・照準を合わせる狙いがあったのだろう。 ◎初演の指揮は作曲者自身=エドゥアルト・シュトラウス1世 ( 1835~1916 )が担当。 ◎初演は、シュトラウス楽団、Strausskapelleの演奏によって行われた。 【参考文献】 ◎Alexander Weinmann:Saemtlicher Werkeverzeichnis von Josef und Eduard Strauss.、Verlag Ludwig Krenn 、Wien 1967 ◎Strauss―Elementar―Verzeichnis(※SEV)Vol・8 、Verlegt bei Hans Schneider Tutzing
ワルツ王ヨハン・シュトラウス2世の舞曲世界深耕~1873年ウィーン万博年の作品を事例に考える,その魅力・美質・評価をめぐって~(*初回記述 )
多忙極まりない情報量過多で豊かな錯綜した混迷な巷・現代と言われる21世紀多様化社会に身を置く我々は、今や国という垣根を軽々と越えてインターナショナル及びワールドワイドに音楽に触れあえる何らの不足を覚えない不自由無き日常を営んでいる。もともと西欧で誕生・日の出をみた音楽が、今日では、多種多様な区別の基準や判断がつかぬまでのジャンルに複雑怪奇発展・変貌し、そのジャンル概念すら曖昧になるほど、音楽は、我々にとっての生活上の事欠くことのできぬ決め手・ヒーリングアートとなる、生活と切り