気分がすべて

なにかしら行動するのには行動しようと思うような「気分」になる必要がある。
どうやってそんな気分になればいいのか分からない。

そもそも、「何かをやりたいと思う」ことさえ自分では操作することは不可能なのだ。

「何かをやりたい」と思った上で、そのやりたいことをやるための気分にならないといけない

行動するのにどれだけの壁、または障害があるのだろうか
そういう壁とか障害とかを乗り越えて行動できている人はすごいし、その行動が結果になってわかる状態になっている人はもっとすごいと思う。

この文章をかくのにも文章を書く気分にならなければならないのだけど、今は偶然にもそういう気分らしいのでこれが書けている。(ただ単に"ひま"とも言う)

私がこの文を書くに至るまでどういう道筋であったかを考えて、遡っていくと
私が生まれたところに行き着く。(なぜなにもないではなくなにかがあるなのかという問題は今は書く気分ではない)
私は生まれた のではなく 生まされた。受け身で生きている。
生きることを選択していないなら
この気分になることも自分の選択ではない
なりたい気分になるように自分を仕向けたいと思う気分になるのも私が選択した事ではない。

しかし、今さらになって、人生を終わらせるという、つまり死ぬという選択をしたいとも思わない。
あと何十年かでみんな必ず死ぬ
私たちは、そのしぬまでのあいだ、気分によって動く機械でしかないのだ。

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