NOT自己犠牲
こんにちは。
この間、久しぶりに電車を利用したのですが、人の少なさにとても新鮮さを感じました。。
車両に私だけという空間にいると、地元の田舎の電車を思い出し、なんだか懐かしい気分になりましたね。
さて、私の心の成長の話を。
私は中学生くらいの時から我慢する事で争いを避けることを覚えてしまっていました。
例えば、「今ここで思っている事を言っても、争いが大きくなるだけだな」と思ったりなど。
つまり自分を犠牲することにより、問題を解決、回避していたのです。
嫌われることが、とても嫌でした。
でも最近は、そういう我慢はやめようと思うようになりました。
まず、自己犠牲を続けていた私は必然的に受け身になっていました。
受け身になっていた私が生み出したものは
何でも許してしまう、他人からは『優しさ』と捉えられてしまう行動や言動
でした。
それに伴い、何でも好きになってしまう自分もいました。
これは良いことでもあり、悪いことでもあると思います。
何でも好きとは、現状維持で満足してしまい、変化を求めていないことを意味すると私は思います。
こういった考えから、言いたい事は言った方が互いの為になると実感しました。
とはいえ、言い合いになるのは怖いです。
しかし相手が明らかに間違ってることは言ったほうがいいでしょう。それを指摘して関係が壊れるようなら相手側が馬鹿だったと思った方がよいです。
さて、今からの時代ってクリエイティブが重要だと思うんです。
言い換えると自分で創作、さらにそれを発信することが大事で、私もとても興味があります。
このnoteも私の考えを発信・共有するための手段なので、私の中ではクリエイティブの一種だと思っています。
受け身の姿勢とクリエイティブって対称的だと私は考えています。
「嫌」という感情から「私ならこうする」という創作の感情に昇華するが、許容しすぎると停滞してしまいます。
つまり、アイデアを生み出すことを放棄してしまうのです。
だから今は、受け身の姿勢はやめて、言いたい事は積極的に発言するようにしました。
それで嫌われるなら仕方ないと考えています。
むしろ嫌うやつは頭が悪いくらいのスタンスで発言しています。
長くなりましたが、私の中の成長の話でした。
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