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健康は「目的or手段」?

こんにちは。


「健康」ということばを聞いて何をイメージしますか?

健康とは、
世界保健機関(WHO)の定義だと
「肉体的にも、精神的にも、社会的にも、すべてが満たされた状態にあること」

単に病気や弱さがないことではなく、前向きな状態、良好な状態を指します。

多くの方が「いつまでも健康でいたい」って思いますよね。

だが、その健康、なんのために?

健康を「目的」にするか
健康を「手段」にするか

という問いです。

んー正月からこれは、なかなか難しそうな話ですな。。


美味しい食べ物をいつまでも食べたいから、歯磨きをしっかりする。

美味しいお酒を飲みたいから、普段から暴飲暴食を避ける。

歩いて旅行をしたいから、散歩やストレッチを続ける。

みなさんも「やりたいこと」とか「すきなこと」ってありますよね。

その時に、自分の体が健康であったほうが取り組みやすいですよね。

なので、この考え方は、健康を「手段」として捉えてます。

逆に、健康のために生きるってなんでしょう。
人生の目的が「健康である」という人。

それはそれでいいとは思いますが、我慢のしすぎはストレスになりますし、ちょっと窮屈感が。
楽しく取り組めたらいいと思います。

もともと体の細胞は、常によくなろうとしている機能が備わっていて、破壊と再生を繰り返しています。

目的が健康だと、
そうじゃなくなった時に自分を責めてしまいます。自分で自分を責めるのはツライことです。

アクシデントや知らず知らずのうちに、
意図せずに、よくない状態に
なってるってことってありますもんね。

だからこそ、日々の体や心の変化に気づく癖、自分の体と心の声をきくって大切だと思います。

この本にこんな言葉が載っていました⤵︎

「諦念後」小田嶋隆 (株)亜紀書房

『誰もが病気になり、最終的に全員が死ぬことが、あらかじめわかっている以上、われわれが目指すべきは、死なないことではない。
われら諦念者の目指すべきはところは、機嫌よく病むことだ。
(中略)死ぬことに関して特段の心構えはいらない。生きてさえいれば必ず死ねる。心配は無用だ。』

こんな感じに、ある程度の楽観性は必要だと思います(健康史上主義になりすぎない)。

なにか症状があると、心配になってすぐにネットで検索!そうすると深刻な内容が書いてあり、余計に心配が増してしまったというお話を聞くことがよくあります。

痛みや発熱は体からのアラームです。
全部否定してはいけません。

世の中には『無痛症』といって
痛みを感じないという疾患を持つ方もいます。
痛みを感じないっていいな、って思うかもしれませんが、痛みを感じないってことは、傷口にも気づけないから感染症になりやすかったり、関節の痛みも感じないので、ボロボロになるまで無理をしてしまう。
そんな風にして、寿命が極めて短いようなんです。

体の症状を、「いいorわるい」で考えすぎず、自分はこう感じる、体はこれを欲してる、など自分の声を聞ける感受性を育てていければいいなと思います。

今回は以上になります。

今年もよろしくお願いします(^^)

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丸山達也(健康を研考する人)
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