ETV特集「ぼくは しんだ じぶんでしんだ」
優れたテレビ番組とは何か?
その現代的な答えは、例えばこう言えるかもしれない。「再生速度を1.25倍や、1.5倍にされることのない番組」と。
昨日再放送されたETV特集。
「ぼくは、しんだ しぶんでしんだ 谷川俊太郎と死の絵本」
1.25倍、1.5倍、2.0倍が選べるNHKプラス。
59分の番組を、59分かけて味わいたいと思える番組だった。
番組は編集者が「子どもの自死」についての絵本を企画し、詩人の谷川俊太郎さんにテキストを依頼するところから始まる。編集者の筒井さんは、子どもの自死が増加する現実に対して何かアプローチしたいと考えてきた。しかし懸念も抱えている。
90歳になろうとする谷川さんにオファーすると、4ヶ月後に一つの詩が送られてくる。番組でそれが紹介されると、誰にでもわかる。
それが圧倒的な作品だということが。
無数の詩を書いてきた谷川俊太郎の中でも、出色の作品。
絵を必要としていないのではないか、そう思わせるほど。
そして物語は、この詩にイラストレーターの合田里美さんが絵を描いていく過程を辿っていく。
谷川さんは投げかける。自死を選んだ「ぼく」の人物像を描いてほしい。
合田さんは考える。谷川さんが描いた「ぼく」はどんな「ぼく」なのか。
何が好きで、どんな友達がいて、そして、
<なぜ死を選んだのか>
自分なりの答えを見つけて表現する合田さんの絵を、時に谷川さんは拒絶する。主人公が死を選んだ原因を、孤独だったから、とか読者に判断させないように、と。
不思議な言葉も投げかける。
見ているものも、考えるようになる。
谷川さんは何を考えているのか。谷川さんは「答え」を持っているのか。
繰り返されるダメ出し。合田さんは食らいつくように、描いていく。
谷川さんも、合田さんの絵や編集者の意見で、言葉を変えていく。
合田さんが第1稿、第2稿と描き直しを続ける過程と同じスピードで、見る側も思索を続けていく。行きつ戻りつ。その時間の流れは、決して不快ではない。
番組の節々に挟まれる、子どもの自死に関するファクト。
文部科学省の調査では、子どもの自死の理由の半数近くが不明、だと言う。
多くの死の理由がわからない。その事実が番組のテーマとも重なる。
僕らは合田さんや、編集者のように途方に暮れる。早送りしないどころか、「10秒戻し」ボタンで何回か聞き直した。谷川さんは何を伝えようとしているのか。
「そんなに簡単ではない」ということか。人が生きる意味も、死を選ぶ理由も、何かの概念に寄せて解決するものではない。
死ぬことは、生きることの反対ではない。であるなら、死の不思議は生の不思議でもある。谷川俊太郎の代表作「芝生」を思い出す。
死んでしまった理由も、生きている意味も、本当のところはわからない。
でも、それを考えることには意味がある。むしろ、そこにしか意味はない。
できるだけ速く答えに辿り続くことが良しとされるような時代に、90歳の谷川さんは、もっとゆっくりと歩んでみてはどうかと言っているようだ。考えに考えても、わからない。そういうこともある。
そして、それが豊かさにもなるのだと。
いつの間にか僕らは、存在しない「ぼく」について考えているようで、自分が生きている意味、死なない意味を考えていた。
そしてラストに谷川さんは伝える。
穏やかな口調で語られる、現代へのアンチテーゼと強い意志。
それは番組そのものからも伝わってきた。
長く手元に置く一冊の本。一編の詩。
多様な意味を持ち、長い時間に耐えうる作品。
そんな番組は、なかなかない。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?