【スポーツ】2003年の大リーガー達
大リーグキャンプの取材をしたのは31歳の頃。
2003年の松井秀喜の大リーグ挑戦の年と、翌年の松井稼頭央の挑戦の時。どちらも番組ではなくて、現地取材+中継みたいな仕事だった。
ヤンキースでメジャー挑戦した松井秀喜を取材した2003年は相当大変。朝と夜のニュースの中継を2週間毎日、ひとりで出し続けた。
企画のロケもして、中継ネタも一人で探して、本番のFD&コーディネーション。テンパった僕を見た有働さんが「これは自分でやるしかない」と諦め+覚悟を決める表情を見せた。
松井秀喜への取材の集中は凄まじく本人にもあまり近づけなかった。仲間うちでさえ、ある種の小競り合いはあった。
でも、その中でも楽しい事はあった。それはフロリダ東海岸のドジャースのキャンプにいった時のこと。西海岸のヤンキースキャンプとは全然違う空気が流れていた。
日本人メディアも少ない中で、野茂と石井一久がランニングをしていた。チームメイトからずいぶん遅れて。明らかに手を抜いたランニング。
「あんなにのんびり走って大丈夫なんですか」
その事をインタビューで聞くと、石井が答えた。
あの適当な笑顔を浮かべながら。僕も笑いながら思った。そんなの全然ジャパニーズスタイルじゃないじゃん。
いい笑顔で笑ってるな。大リーグ挑戦する選手に思った一番は、そのこと。日本では見たことのないリラックスした笑顔。アメリカの強い太陽の下、何かから解放されたような表情が印象的だった。フロリダやアリゾナの開放的な空気感、だけじゃない。そこには「プロ野球」という空間や呪縛から逃れた解放感が漂っていた。
脱藩者。そんなイメージがあの頃のメジャー挑戦者にはあった。
まだ堅固な存在としてあったプロ野球。その価値観に違和感を覚え、でもそれを表立って表明できないものたちのユートピア。だから国内マスコミは、野茂の時ほどではないにしても、どこか「無謀な挑戦」というベクトルを持ちながら挑戦者を見ていた、ような気がする。
でも、アメリカにいる選手たちはそんなことは気にしてなかった。どこまでも抜けのいい笑顔で笑っていた。
そんな取材の時に、どこかのダイナーで与田さんに出会った。自費でアメリカキャンプを取材しているという与田さん。サングラスとGジャンがあの大きな肩幅にメチャクチャ似合っていた。自分で車をレンタルして、キャンプを取材しているという与田さんのカッコ良さはちょっと言葉にはできない。アメリカと与田さんはピッタリとしていた。
2004年は大リーグ2年目の松井秀喜と、初挑戦の松井稼頭央の対比がテーマ。僕もアメリカの空気の中でずいぶんと楽しくなって青山さんに提案した。
「どうせ松井秀喜は取材できないから、松井の好きなおにぎりをプレゼントする企画にしましょう」
なぜかホテルのキッチンで青山さんがおにぎりを握るシーンからロケを始め、インタビューの後に、松井秀喜におにぎりを渡して食べてもらう。
馬鹿馬鹿しい企画に青山さんも乗ってくれ、松井は喜んで食べてくれて「なんでこんなに美味しいのに、独身なの?」的なサービストークもしてくれた。
そして松井秀喜には、もう一つお願いをした。2年目の松井秀喜から、今年挑戦の稼頭央へのメッセージを。
割と真剣に松井さんは書いてくれた。
変化の必要な事と不必要な事。
それは1年目に苦しんだ松井さんのリアルな気持ちでもあるし、過剰に対応しようとして自分を失った経験への痛みのようにも感じた。
今はもう少し思う。変化が必要なこと、不必要なこと。うがった見方をすれば、もしかしたらプロ野球へのメッセージでもあったのではないかと。
僕らはよく「大リーグの野球に、いかに適応できるか」という視点で選手を見ていた。でも彼らの中では、どちらも野球である事に変わりはなく、むしろアメリカのそれの方が「本来追い求めていたもの」に近く感じていたのではないか。
野球って、自由なんだな。選手でもない僕でさえそう感じた。もちろん厳しさもあるけれど、大きな空の下でできるだけ遠くに球を飛ばせるか。
シンプルで痛快。初めて野球に出会った時に感じた魅力の、真っ直ぐ先にある世界。
何よりも笑顔。大リーグに挑戦する選手のあの無邪気な笑顔。伸ばした髭。
プロ野球の先人を否定しない、ある種の優しさを持った脱藩者たちが、伝えようとしたこと。今の僕たちにだって響くメッセージ。
変化の必要な事と、不必要な事!
いつだって、それを見極めることが大事。