旅はまだ続く「BLUE GIANT EXPLORER」完結に寄せて
「お疲れ様」と、伝えたい。
ビッグコミックでの「BLUE GIANT EXPLORER」の連載が完結した。
アメリカのシアトルから始まった旅は、ニューヨークに辿り着いて終わった。(すぐにニューヨーク編が始まるようだから、終わったという表現は正確ではないかもしれないけど)
「BLUEGIANT」は独特の構造を持つ作品だ。読者は、主人公・宮本大のジャズプレーヤーとしての挑戦を見つめると同時に、作者の石塚真一の漫画家としての挑戦を見つめ、応援している。
音の出ない漫画で音楽を描く。しかも、若者のファンが多いとは言えないジャズの魅力を漫画で伝える。石塚真一の当初、無謀にも思えた挑戦は「世界一のジャズプレーヤーになる」と宣言する主人公・大の姿に重なる。
大のジャズが観客に「届く」シーンは、同時に石塚の漫画が私たちに「届く」ことでもあり、僕らは石塚の音楽や漫画に傾ける情熱を通じて、宮本大の情熱を受け取って感動する。
石塚のジャズに対する愛と信頼。そして、漫画にかけるただ事ではない熱量があってこそ成立する、それはひとつの「奇跡」だ。
だからこそ「お疲れ様」と、伝えたい。
それは、ニューヨークまで辿り着いた大への言葉でもあるが、むしろ作者の石塚に対しての言葉だ。それくらい、アメリカ横断の旅を描いた「EXPLORER」は困難な挑戦だったと思う。
日本を飛び出して、ヨーロッパを旅した前作「BLUE GIANT SUPREME」
物語は大きな翼を広げるように進んでいった。主人公・大と同じ歩幅で作者・石塚真一も挑戦し、成長しているように思えた。
そこには、ひとりで旅をする自由と心細さがあり、心通じる仲間との出会いの喜びがあり、バンドメンバーの中での理解と葛藤があり、初めて出会う同年代のライバルがあり、まだ見ぬ舞台への挑戦があった。
石塚真一は、何かを出し惜しむことはしない。
その瞬間に出せる全てを出し尽くして、その先へと突き抜けようとする。
だからこそ、ある種の到達点に辿り着いたヨーロッパの旅の「先」は難しかったはずだ。
一人きりでの戦い、バンドメンバーとの出会いと相剋。バンドを運営する金銭的な苦労。それは、繰り返しではないけれど、完全なる新しさはない。
僕らは比較してしまう。アントニオとブルーノを。ゾッドとラファエルを。
もちろん同じように魅力的だ。アントニオもゾッドも。
でも「同じように」? そう、それは圧倒的では無かった。
「アメリカ」の全体を知るために、あえて東海岸のニューヨークではなく、対岸のシアトルから旅を始めた大。そこで出会うのは、アメリカの音楽的な土壌の豊かさ、そして多様さだ。そこには、絶対の正解はなく、人々はそれぞれのスタイルで音楽を楽しんでいる。
シリアスでストレートである事を目指す大のジャズは、時にその土地に生きる人からはっきりと拒絶される。
「お前は変わるべきだ/自分は変わらないといけないのか」
そんな問いを、大は周囲から投げかけられ、自らも考える。
それは、大の生き方についても同じ。
「お前の生き方は生真面目すぎる」そんな言葉も投げかけられる。
修理工場のエディ。スケーターのジェイソン。
自分のペースで生きる人たちの人生にふれて、大も少しずつ変わっていく。
カフェで働くシェリルとの出会い。そしてジャズ教室の代行教師として、子どもやお年寄りと演奏会を開くシーンは最高だった。アメリカという国の持つ多様なあり方。僕らは大と同じように、アメリカを旅をして、多くの人々とその人生に出会っていく。
きっと、苦しんだのは後半だ。一人きりの戦いを終え、バンドメンバーを増やしていく。メンバーたちは出会った時には魅力的だけど、メンバーとなった後の化学反応はあまりおきない。
主なテーマは、大が「殻を破れるか」。でもそのテーマは、物語として深められたり焦点を結んでいかない。シェリルとの再会のシーンも素敵だったけど、どこか自然ではない。
どうしてもいいフレーズが出て来ない時、仲間のソロが高まっていかない時、大が心で念じる言葉があった。
「・・つながれ!」
そんな言葉をストーリーを読む僕らも思う時があった。
もっと、大きなうねりを生み出せるはず。
そして、作者の石塚にエールを送る。
もっと、もっと、と。
最後のクライマックスは雪祈との再会。そして、動かない右手での演奏。それはもちろん感動的ではあった。映画との相乗効果も計算されたのかもしれない。でもそれは、どこか予定調和にも感じた。
だって、雪祈がステージに上がって演奏すれば、それは感動するに決まってる。映画版でも、それは明らか。でも、物語が目指してきた到達点は果たしてそこだったのか。
ストーリーは、どこかのレストランで皿洗いをするジェイソンのシーンで終わる。店員に邪険に扱われるシーンは、少し暗い感じで描かれる。
そして店の外で大からのメッセージを受け取る。ニューヨークに着いたと。
そこで気付く。
僕が感じた難しさ。それは「BLUE GIANT EXPLORER」が、ニューヨーク編の序章としての物語、だったからではないか。
ニューヨークに辿り着くことは、あらかじめ決められていた。だからこそ、物語と大は殻を破れなかったのかもしれない。あるいは、殻を破ることに正面から向き合うのはニューヨークで、なのかもしれない。
それはちょっと「BLUE GIANT」っぽくない。
映画としての大ヒットも含めて、BLUE GIANTはすでにビッグな存在となっている。次のニューヨーク編こそが、一点突破のように生きてきた大と、BLUE GIANTの物語世界が問われる戦いになるのだろう。
「君はもっと負けるべきだ」
前作で石塚は、年老いたジャズレジェンドにそう語らせた。
その言葉は今、複雑な意味をもって響く。
挑戦を続けることの難しさ。成長して、いくつかの「守るべきもの」を持ってなお、挑戦を続けることは、何も持っていなかった頃よりも困難だ。
でも、期待する。
宮本大と石塚真一が「BLUE GIANT EXPLORER」で開いた扉の、その先を。