どう書く一橋大国語1現代文2017
2017一橋大学 問題一現代文(評論・約3300字)35分
【筆者】塩野谷祐一(しおのや・ゆういち)
1932~2015年。愛知県豊橋市生まれ。経済学者。名大経済学部卒。一橋大大学院経済学研究科博士課程修了。一橋大教授、一橋大学長、国立社会保障・人口問題研究所長、名大特別教授、国際医療福祉大国際医療福祉総合研究所副所長を歴任。一橋大名誉教授。経済哲学やヨーゼフ・シュンペーターの研究の第一人者。
【出典】『エッセー 正・徳・善―経済を投企する』(ミネルヴァ書房2009年)
三大倫理としての「正・徳・善」を、経済という社会活動と関連づけて扱ったエッセー。人々が「経済を投企する」試みに日常的に参加するようになるとき、経済のあるべき姿が社会の声として聞こえてくるだろう。
【解答例】
問い一(漢字)A=洞察 B=推奨 C=慈悲 D=福祉 E=忘却
問い二(語句)ア「恣意」=気ままな考え。 イ「安閑」=何もせずぼんやりした様子。
問い三「『かけがえのない人格』と考えられる人間存在も、実のところ、道徳的にはそのまま固定すべきものではない、ということになる。」とあるが、これはなぜか。問題文全体をふまえて答えなさい(八〇字以内)。
〈ポイント〉
・「かけがえのない人格」は「人格の置換不可能性」である。
・「他の人と自分の人格を取り替えることはできないということである」。
・だから「個々の人格はそれ自身として冒しがたい尊厳性を持つ」。
・「ジョン・ロールズの正義の理論」によれば、「人間は誰もが人間であるという事実によって、自由・平等な人格としての不可侵性」を持つ。
・「ロールズの理論」によれば、「道徳的に容認される格差は、自分が最も不遇な地位にあると仮定しても受け入れることのできるものでなくてはならない」とする。
・この「仮想的条件の下では、個々人のアイデンティティは消去され、他の人々とは異なるかけがえのない人格性が奪われ」、「人々は置換可能性を体験することになる」。
・「その結果、自分が現実にどのような運命に直面するかを知らないという状態に置かれ、『かけがえのない人格』の集団を支配する正義の原理に導かれる」。
・「『かけがえのない人格』から生み出される『かけがえのない人生』」を、「所得や富の初期的分配、自然的能力や才能、主体的な意志や努力、確率的な運や偶然」といった「本人の意思や活動によらない」、「偶然のいたずら」に任せてはいけない。
・「『かけがえのない人格』を道徳的に実現するための解決策」は、「正義と連帯にもとづく『格差原理』である」。
・ロールズは「仮想的な『人格の置換可能性』の状況」を作り出し、「他人と立場を置換し、他人の立場に立つことができる」と考え、「このことによって、かえって各人に『かけがえのない人生』を保障するための正義の観念に到達した」。
★本人の意思や活動によらない偶然が人々の間に現実的格差を生み出している状況において、仮想的な人格の置換可能性を体験することで、かえって各人の尊厳が保障されるから。(80字)
問い四「前者は『正』ないし正義の理論であり、後者は『徳』ないし卓越の理論である。」とあるが、ここにある「正義」および「卓越」とは何か、自分の言葉を用いつつ答えなさい(八〇字以内)。
〈ポイント〉
・「前者」はロールズの理論で、「後者」はハイデガーの理論である。
・ロールズは、「仮想的な『人格の置換可能性』の状況」を作り出し、「他人と立場を置換し、他人の立場に立つことができる」と考え、「このことによって、かえって各人に『かけがえのない人生』を保障するための正義の観念に到達した」。
・「ロールズの正義の理論は『格差原理』と呼ばれるものであって、容認できる格差はどのようなものかを問う」。
・「道徳的に容認される格差は、自分が最も不遇な地位にあると仮定しても受け入れることのできるものではくてはならない」。
・ハイデガーは、「人間は死ぬということだけは他の人に代わってもらうことができないという意味で、各人は『人格の置換不可能性』を持つ」から、「死に対する不安と絶望の中で、人間は本来的なあり方を求めて生きる」という「限りのない自己の実現という実存的な生き方に目覚めるべき」だと説いた。
・「しかし、人間は日常性の中にあって、世間のしきたりに従って安閑として暮らし、死の事実から目をそらし、それを忘却している、とハイデガーは言う」。
・「自分の言葉を用いつつ」という条件には、「正義」が他者との関係で成立する理念であるのに対し、「卓越」は死の事実に真面目に取り組み続ける自分自身の姿勢であることを示すことで応じた。
★正義とは他人と立場を置換することで道徳的に容認できる格差を知る観念で、卓越とは死の事実に営々と向き合うことで自己実現を図る、実存的な生き方を追求する姿勢である。(80字)
※「営々と」は「安閑と」の対義語。