どう書く一橋大国語3現代文2018

2018一橋大学 問題三現代文(評論・約2000字)30分
【筆者】藤田省三(ふじた・しょうぞう)
1927年~2003年。愛媛県出身。東大法学部卒。法政大名誉教授。丸山真男に師事した政治学者(日本政治思想史)。近代天皇制国家の内面構造を分析した『天皇制国家の支配原理』は戦後思想史に画期的な意味を持つと高く評価され、若くして戦後の批判的知識人を代表する一人として注目される。
【出典】「或る歴史的変質の時代」。『精神史的考察』(平凡社1982年)所収。
学問の領域を越え、人間存在の何たるかを考察する。現代の圧倒的な超実利主義的世界の中で、敗北という重要な経験から学ぶということ、自分の頭で考えること、想像力を高めることを希求した記念碑的著作。(内容紹介文より)
【解答例】
 右の文章を要約しなさい(二〇〇字以内)。
〈ポイント〉
・「明治時代」を、一つの共通の精神と行動形式とを持った歴史的構造体として位置づける理由とその内容をまとめる。
・明治維新から日露戦争に至るまでの「明治時代」には、一つの共通の目標と精神が貫かれていた。
・「明治」という元号は、社会の内側から出現した自生的な社会的力の自主的な社会活動の成果の一つとして選び取られたものであったという点で、天皇家の世継ぎを意味した「大正」や「昭和」とも、社会的動揺に対して社会の外側から対応しようとした昔の改元とも異なる、特別のものであった。
・「明治時代」に日本社会全体が一貫して追求していた目標とは、国際列強に対する日本の「独立」であった。
・「国民主義的独立」の立場と「国家主義的独立」の立場が対立しながらも混淆し、列強に対する「独立国家」を作るという大きな目標が社会全体に行き渡っていた。
・だから「明治時代」を「立国の時代」と呼びたいと思う。

★「明治」の称号は、天皇家の世継ぎを意味する元号とも、社会的動揺に社会の外側から対応した昔の改元とも異なる、社会の内側からの自生的な成果として選び取られた。明治維新から日露戦争に至るまでの明治時代は、国際列強に対する独立国家を作るという大きな目標のもと、国民主義的独立の立場と、国家主義的独立の立場とが対立しながらも混淆し、日本社会全体に行き渡っていた、歴史的構造体としての「立国の時代」なのであった。(200字)

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