どう書く一橋大国語1現代文2020

2020一橋大学 問題一現代文(評論・約2700字)35分

【筆者】信原幸弘(のぶはら・ゆきひろ)
1954年兵庫県生まれ。1977年東京大学教養学部教養学科(科学史及び科学哲学分科)卒。東京大学教授。専門は科学哲学、心の哲学、認知科学の哲学。

【出典】『情動の哲学入門―価値・道徳・生きる意味』(勁草書房 2017年)
 情動はときに誤り、害をもたらす。やはり理性に従って行動すべきなのか。理性的に生きることが幸福な生につながるのか。実はそうではない。情動こそが状況に相応しい行動を生み出すのであり、理性は情動の働きを調整しているというのが本当のところである。情動に着目することで新たな展開を見せる心の哲学の最前線。(出版社の紹介文より)

【解答例】
問い一 漢字の書き取り。A=尊敬 B=聖職者 C=真摯 D=丁寧 E=立派
※Aについては大学から「出題ミスのため全員に同一の点を与える」との発表があった。問題三の本文中に「尊敬」の語が漢字で示されていたからだろう。

問い二「仕事人モード」とあるが、それはどのような状態か、説明しなさい(三〇字以内)。
〈ポイント〉
・「情動の管理が雇用者の利益につながり、ひいては従業員の利益につながる」、「雇用者と従業員の利益のために、情動の管理が要求され」、「利益のために求められる情動」のように繰り返されているところに注意。
★仕事上の利益のために、情動の管理が要求されているような状態。(30字)

問い三「そのような情動を抱くことには何か根本的な問題があるように思われる。」とあるが、「根本的な問題」とはどのようなことか。文章全体をふまえて答えなさい(三〇字以内)。
〈ポイント〉
・「そのような情動」は「感情労働で求められる情動」をさす。
・傍線部の直後に、「強いられようと強いられまいと、そのような情動を抱くことそれ自体が問題なのではないだろうか」とある。ただし設問文に「文章全体をふまえて」とあるので、傍線部の前後だけで書かないこと。
★感情労働において、その場の状況に相応しくない情動を抱くこと。(30字)

問い四「接客業は感情労働なのである。」とあるが、筆者は少し後の段落で、医師の仕事が感情労働ではないように、「接客業もまた、本来は感情労働ではないのである。」と述べている。なぜそのように言えるのか。文章全体およびこの後に予想される論理展開をふまえて説明しなさい(五〇字以内)。
〈ポイント〉
・「接客業は感情労働なのである」ことではなく、「接客業もまた、本来は感情労働ではないのである」ことの理由を答える。
・「予想される論理展開」は、接客業が「医師の仕事」と同様であることから導く。
・「接客業もまた」とあることから、「医師の仕事」と同じ理由で接客業も感情労働ではないという論理を展開すると考えられる。本文において医師の仕事は、利益のために情動を管理する感情労働ではなく、「患者の苦境に深い共感を示すこと」が自然にできるような仕事だとされている。怒りを覚えることなく共感を抱くべき相手は、医師の場合なら言うことを聞かない患者であり、接客業の場合なら不当な要求をしてくる客である。
★不当な要求をしてくる客に対しても、その立場に深い共感を自然に示すのが適切な対応だといえる職業だから。(50字)

2020一橋大学 問題三現代文(随筆・約1800字)30分

【筆者】鷲田清一(わしだ・きよかず)
1949年京都市生まれ。京都大学文学部卒業。関西大学文学部教授、大阪大学総長、大谷大学教授、せんだいメディアテーク館長、京都市立芸術大学理事長・学長などを歴任。大阪大学名誉教授、京都市立芸術大学名誉教授。哲学者(臨床哲学・倫理学)。

【出典】『老いの空白』(弘文堂 2003年/岩波現代文庫 2015年)
 人生における〈空白〉として捉えられてきた〈老い〉。しかし超高齢化時代を迎え、〈老い〉に対する我々の考え方も取り組み方も変化を余儀なくされている。〈老い〉を問題とする現代社会の有り様にむしろ問題はないか?「日常」「アート」「顔」など身近な問題を哲学的に論じてきた第一線の哲学者が、現代社会の難問に挑む。(出版社の紹介文より)

【解答例】
 右の文章を要約しなさい(二〇〇字以内)。
〈ポイント〉
 人間の〈老い〉と人間社会の〈成熟〉とを関係づけてまとめること。つまり人間社会の成熟は、人間の生物としての年齢では測れない。この文章は〈老い〉の持つ経験に価値を見いだせない産業社会への批判になっている。
・生産と成長を基軸とする産業社会では、過程よりも結果に重きが置かれることから、〈経験〉が尊重されなくなった時代では〈老い〉は負の価値しか持たない。
・〈経験〉の意味がその価値を失う、つまり〈成熟〉が意味を失うということは、「大人」になることの意味が見えなくなることである。
・成熟するということは、相互の依存生活を安定したかたちで維持することを含め、他のひとの生活も慮りながらじぶん(たち)の生活をマネージできるということである。
・〈成熟〉には訓練と心構えという社会的な能力の育成が必要になる。
・だから、成熟/未熟はたんに生物としての年齢だけでは分けられない。

★過程より結果に重きを置く産業社会では、老いは負の価値しかないと意識される。経験は価値を失い、成熟することの意味が見えなくなる。しかし、人間は相互の依存生活を安定した形で維持することを含め、他の人の生活も慮りながら自分たちの生活をマネージできるという成熟した社会に生きるものだ。その意味で、成熟は単に生物としての年齢の問題ではなく、訓練と心構えという社会的な能力の育成を必要とするものとして捉えられる。(200字)

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