東大生の僕が生まれて初めて150万円の借金をしてサークルを作った話
(※サウナの話です。)
こんにちは!東大サウナサークル代表の石井です!
この度、初めて借金をしました。
学生として、何か面白いことをしたいと大好きなサウナで話してたら、
サウナサークル作ったら面白いんじゃね?ということでサウナサークルを作ってみました。(2022年4月に設立)
一年で、サークル立ち上げ、大規模フェスをしくじった、、!!!
「どうしてこうなったのか?」「そもそもなんでこんなことを始めたのか?」を説明していきます。
なにをしくじったの?
東大サウナフェスというのを10月22日23日に千葉県印西で開催するために、
200万を目標にしてたはずのcampfireが、、、
92万,,,,,,
なぜサウナサークルを作りフェスを開催したのか??
まず、どういう仮説のもとでサウナサークルをつくり、このフェスを開いたのかという経緯について説明させていただきたいです。
理由①:マネー経済社会→評価経済社会の流れについて
こちらの記事がわかりやすいので、ぜひ見てみてください。
僕の勝手な感覚からすると、一言でまとめると、みんなが時間を持て余すときに誰と一緒に遊んだり、遊んだりする??ってなったときに石井(僕)じゃね?ってなるのが、これからの"イケてる"ではないかって本気で信じてるのです。だから、東大サウナサークルっていうコミュニティを作り、上手くいくかもわからない大きなイベント会場(温浴施設)貸し切ってやるような東大生ってなんか面白がられるんじゃないかなって思ってます。これは金ない学生っていうのが評価経済的にかなり有利なんかなって個人的に思いました。(そりゃ、金あまり余った立派な大人ならそもそも150万くらい屁でもないと思いますが…)誤解を恐れず言うと、アドアフィなどで2000万稼いでる人より、こう言うので100万溶かしてる大学生の方が面白いという人が一定数いるっていうのが、マネー経済→評価経済の感覚に近いかもしれません。
理由②:空前なるサウナブーム
サウナの月間検索ボリューム
あとは、すごい単純です。皆さんご存知の通り、2020年より、サウナのキーワードが8倍くらいになってるんですよね。(誰っでもサウナ流行ってるなってわかりますよねw)しかも個人的に重要だなと考える指標が一つあって、いつの時代もエネルギーが高い人が世の中の全体的な動きを作っていくのではないかと考えていて、つまり誰かというと【情報感度が高い若者が飛びつくもの】かなと思ってます。
ここまでをまとめると
1. おもろいと思われる"価値"がお金の"価値"とくらべ、相対的に上がってる2. 学生の今が面白いと思われやすい
3. サウナ流行ってる
これだけで、あとはなんの計算もしないで(ただできないだけw)サウナサークルをスタートさせました。
サークルの経緯について
最初のイベント あのサウナ聖地"北欧"を貸し切りました。 30~40人くらいきたんですけど(8万くらい赤字で価格設定頭悪いw)、 これがツイッターで何故かバズりました。
そこから毎月サウナイベントを開催!毎回30人くらい集まりました!!
100日後にサウナフェスを開く東大生でのTiktokが、100日で1.1万を超えました!!
再生数100万も突破しました!
72時間ぶっ通しLIVEをしました!!
72時間で13万人も見てるのか...w
これならサウナフェス成功するっしょ!!!って思っていましたが…蓋を開いてみたら.…
まさかの目標未達、、、、
買っていただいた方、行けないけど支援してくれた方、本当に本当に感謝しかないです!!ほんとにほんとにありがとうございます。
ほんとに感謝以外出てこなくてごめんなさい。
楽しんでくれた方が多くて何よりでした。
なんでこのフェスが間違えたのかを考察してみました。
大反省点
学生主体の割に単価高すぎた…
これは、まさにそう..その他のイベントより1000円くらい安いだけで、学生が開いているのと、サウナの会社が開いているのじゃ6000円という価値の感じ方が全く違うことを理解していなかった。(機能としてではない情緒的な価値をうめていなかった)50万のチケットと2000円のチケットみたいな形にしたほうが絶対うまく行ったなと今では思います。
クラウドファンディングとイベントの親和性を何も考えてなかった..
イベントは、将来こういう社会貢献がしたいなどのビジョンがあまりないため、共感しづらいという事実のリサーチ不足。なぜクラウドファンディングを使うのかを思考停止で使ってしまった。(しかも自分がクラファンでものを支援したことないという最悪な形で始めてしまった)
一瞬見たことある→知ってる→いいなぁ→行きたい→行く!の壁をなめすぎていた…
ロイヤリティを上げるような施策より新規のフォロワーなどばかり考えてしまっていた。すべて勉強し直しです。頭ではわかっててもここまでできないんだと身にしみて感じました。
本当の意味でのファンづくりを全くやっていなかった
サウナサークルのこと知ってるよ!っていう人はおそらく10万人くらいはいても、行ってみたいなと思う人は少なかったという現実。これは、キンコンの西野さんが毎日Voicyしてたり、ホリエモンのメルマガなど、地道なファンづくりを無名の大学生がサボるという大失態を犯してしまった。
こんなにも設計をミスってもなお、自分がやるといって、たくさんの人を巻き込んだ以上、うまく行かなかったね!では済まされないので、やれることは全部やりました!!(友達やDMなどできてくれた方もありがとうございます!!)
そんなこんなでサウナフェスは、来てくれた方に楽しめていただけました!
今後のビジョン
東伊豆にサウナ作ります!!
止まらずやり切ります!!!!!
詳しくは下を見てください
最後に自己紹介w
小学校:エースでいじめられっ子
運動神経も抜群で、四番も打ったこともあったし、エースでした。(あの時は自分の人生的にはモテてた?)
でもいじめられっ子でした。
足が早ければモテると言われる小学校時代に、エースでした。
でもいじめられっ子。
野球部の中でハブられていました。
悲しいやつですね。
野球でどれだけ活躍しても、チームメイトはそれを認めてくれない。
とてもつらかったです。
人は周りからどう見られているかを重要視する生き物だということを強く認識しました。
中学校:ようやく友だちができる(ただし陰キャ)
中学校に上がると、膝の怪我で野球はほとんどできなくなりました。
その代わりによく遊ぶ友だちができました。
彼はいつもみんなからバカにされていて、見下されていました。
いわゆる「陰キャ」です。
小学校で人からの評価が重要だと思っている僕は「辛くないのかな?」と心配します。
ですが、彼は不思議と楽しそうなんですね。
付き合っていくうちに、強がりではなく本当に幸せなのだと気づきました。
「バカにされている」という解釈(事実ではない)は存在するものの、彼はそれを辛いことだとは思っていません。
「人からの評価が重要である」という認識が、
「自分のことをどう認識するかで幸せはコントロールできる」
に変わっていきました。
当時の僕はそこまで深く考えていなかったですが…
高校:ソフトテニス部の部長、職員室で人気者になる
高校ではソフトテニス部の部長、つまり強制されて集まる場所でのリーダーを務めました。
中学で友達を作った僕は、徐々にコミュニケーションを覚えていき、嫌な言い方ですがコミュニティの中での立ち回りも上手になっていきました。
しかし、辛い場所が一つだけありました。
職員室です。
実は、自分は診断書付きのADHDです。
遅刻する・よく物をわすれる・人の話を聞かない、と社会生活を営む上で基本となる部分がかなり苦手です。
小学校で上手く行かなかったのはこのせいかもしれません。
そのため、職員室にはしょっちゅう呼び出され、ほぼ毎日怒られていました。
怒られて怒られて、怒られ続けた結果、とうとう学年主任の一番怖い先生に呼び出しを食らいました。
「なぜそんなに忘れ物をするのか」「どうして人の話を聞かないのか」
3時間ほど立ちっぱなしで先生のお叱りを受け、僕は泣いてしまいます。
「すみませんでした」「もう忘れ物はしません」
ひとしきり怒られ終わったあと、泣きながら明日持ってくるものを紙に書かされました。
「忘れ物をするのは、何を持ってくるのか把握していないからだ。」
「明日はこのメモを見て、持ち物を確認しなさい。」
泣きながら元気よく「はい!」と答え、職員室をあとにします。
そしてその日の夜、家に帰って持ち物を確認しようとすると
「メモがない…!?」
なんとなく予想できたかもしれません。
しかし、メモをなくした場所が意外すぎました。
担任の先生の机の上です。
先生も驚いたと思います。
「何だこいつ…」
あまりの酷さに、次の日から忘れ物で怒られることはなくなりました。
忘れ物に悩まされた高校生活ですが、先生たちの優しさもあり、卒業する頃には一度職員室に入ると次から次へと先生に話しかけられ、しばらく出ることができないという人気者になりました。
大学時代:コミュニティを自分で作り始める
大学ではサークルでの活動に全力を注ぎ、こちらでも部長を務めることになります。
サークルは部活のように強制的に集められるわけではないので、ある意味自発的に集まったコミュニティだと言えます。
そんなサークルで、ある友達が馬鹿にされていました。
彼は幸せなわけではなさそうでした。
特に当たりのキツい人が一人、友達をバカにしているようです。
自分は彼が辛い思いをしていることを知っているので、
「彼に居場所を作りたい」
そう思うようになりました。
いじめられっ子だった自分が、誰かの居場所を作るために動けるようになっていました。
大学時代:サウナ好きになる
今に至る、、、、
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