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能「皇帝」に思うこと その8
母国語で話すということ
「お前たちは何故英語で話しているのだ」
という問いに、エリックの矜持のようなものを感じた。
「お互いの文化を教え合って、そこにリスペクトがあるなら、その言葉も大事にするべきだ。」
もちろん、それはそうだけども、私はフランス語を話せないし、シモンは日本語を話せない。(二人ともいくつかの面白い言葉は知ってはいたが。)さらにエリックは面白い提案をしてくれた。
「まずはシモンがフランス語でタツシゲに話す。それをタツシゲは自分で日本語に通訳して話して、それで日本語で返事をする。それをシモンはフランス語に通訳して……」
一見難しそうではあるが、私たちには英語のテキストがあるので、セリフが倍になるだけで母国語を使う事ができた。これは本当に良かった。英語では出てこないニュアンスが日本語・フランス語にはいっぱいあった。この頃からシーンを作る時に即興の演技を繰り返して、面白いカットを演出に加えていった。これは母国語だからできた事だと思う。
ジョアキムとエドワード
3人目のゲストはジョアキムパヴィ。ギタリストだ。彼は出来上がったシーンにギターで音楽をつけていった。これも即興だった。彼の前にはいくつものエフェクターがあった。それを操って風の音や、ホラーな音、心の奥底が熱くなる音楽を作ってくれた。
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4人目のゲストはエドワードラフレ。彼は大工で、この木の体験の大道具を作る為に来日した。この大道具は第二のタツシゲで、松で出来ているのでマツシゲと呼ばれた。劇中にシモンが舞台上で組み立てる演出で、日本でいう組み木の技術で作られた。写真はフランスで作られたマツシゲ2号。1号は京都のとある場所に眠っている。(その場所はエドワと私の間の秘密である)
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ヴィラ九条山でのパフォーマンス
この「木を生きる」はフランスでの上演が目的だったが、制作活動の成果発表としてヴィラ九条山で上演された。その時、色々な方にお越し頂いた中でも、染色家の森口邦彦先生からお話を頂いたのが忘れられない記憶になった。
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その日は上演の後、申し合わせの為にすぐに金剛能楽堂に移動しなければならなかった。今思えば夢のような不思議な時間だったが、森口先生にタクシーで能楽堂まで送って頂きながら、移動の間、車中でお話を伺う事ができた。森口先生は1960年代にフランス政府給費留学生として渡仏し、パリ国立高等装飾美術学校を卒業されている。つまり、私の話した日本語とシモンの話したフランス語の両方を理解する、しかも超一流アーティストだ。
二人が母国語を使っている事に好印象を覚えた事、そして二人がお互い歩み寄ろうと必死になっている姿が良かった事、そしてその中にある"ズレ"がとても面白い事をお話しくださった。「その"ズレ"はなくなる事はおそらく永遠にないだろうけれど、この歩み寄りをこれからも続けていって下さい」とおっしゃった。これは自分にとって宝物のような言葉だった。「木を生きる」という邦題は森口先生がくださったもので、記録上は「木の体験」という事になっているが、僕は「木を生きる」が邦題だと思っている。まだ、木を通じて私たちの体験は続いているのだ。
つづく
第八回竜成の会「皇帝」ー流行病と蝋燭ー
令和5年5月28日(日)14時開演
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