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やっと父に伝えた「ありがとう」

母に「産んでくれてありがとう」を伝えたのは、私が消防局を早期退職した3月末日でした。

実際に言葉にして伝えてみると、自分自身にも予想外の感動と達成感と幸福感が生まれました。

「こうなったらこの勢いで、おやじにも言おうではないか」
と、父に「ありがとう」を伝える決心をしました。


しかし、同じ感謝の言葉を伝えるのでも、母に対するのと父に対するのとでは大きな違いがありました。

それはハードルの高さです。
同性というのもありますが、若い頃はあれだけ反抗しまくった相手を前にして、果たして私の声帯がすんなりと音波を発生してくれるだろうかと、はなはだ心配なのです。

しかし、父も90が近くなっていましたから、伝えるなら一日も早いほうがいいぞ、と自分に何度も言い聞かせました。


実際に、言う決心をして父を前にしたのは、母に伝えた4ヶ月後でした。
季節は春から真夏へと移っていました。
母には花束を渡しましたが、恥ずかしすぎて父には手ぶらです。

実家に帰り、父と二人っきりになる瞬間を狙って言おうと思っていたのですが、母が私の隣にはりついて動こうとしないのです。

いくつになっても息子は息子という気持ちだったのでしょう。少しでも近くにいたいという思いからか、いっこうに用事に立とうとしないのです。


これではエンドレスゲームになってしまうので、あきらめて母を横にしたまま言うことにしました。

テーブルの向かいに座る父の顔を見ました。

私が反抗期の頃にいつも怒り声で説教をしていた顔は、すっかり人のいい村の古老のような顔になっていました。

母のときをはるかに上まわる恥ずかしさで、汗が全身に流れました。
胸の動悸が部屋に響き渡るかと思うほど大きく感じられました。


「おやじ!」
このつづきを言えば、男親といえどもさすがに感動の涙を流すだろう。
私はそう思いながら言葉をつづけました。

「育ててくれてありがとう!」

ついに言った!!
父は涙を流しただろうか?

父の表情をみると、けげんな表情で片手を耳に当てて言いました。

「なんだって? ぜんぜん聞こえんがな。もっと大きな声で言えぇや」

親父、お前もか!!
母と同じ反応で、張りつめていた緊張はいっきに解けました。

考えてみれば、父は定年まで大きなプレス工場の爆音の中で仕事をやっていて、私が若い頃から耳が遠かったのです。

(そうか、そうか、俺が悪かった。もっと大きな声で伝えるよ)
気を取り直して、つぎはさらに数倍の音量でいいました。

「おやじぃー! 育ててくれてぇー、ありがとぉーーー!!」
と大声で言い終わるいっしゅん前、母が、

「何を言っとるだ、たつゆき! このおとうちゃんのおかげで、どんだけ私がしんどい目ばっかりこかされてきたと思っとるんだ。私ゃなあ、そこの○○池になぁ、何回も身を投げて死のうと思っただぞ」
と、私の発言をたしなめるような口調で、そのようなことを言いました。

(なにを言ってくれてんだよ、おふくろよ。
感動的な場面になるはずが、台無しじゃねえかよ!)

私は、落胆しつつ父の顔をみました。

そのときの父は、感動して落涙するどころか、埴輪のような表情で固まっていました。


それでも、父に伝えられた満足感でいっぱいでした。

父はよほど嬉しかったようで、よくうちへ電話をかけてくるようになりました。
ただ、耳が遠すぎて会話が成り立たないのが難点で、シンガーとしてとても重要な喉を壊しそうになるのです。

97歳まで生きてくれたので、もっと喜ばせて100歳まで元気でいてもらおうと思っています。


もしサポートしていただけたら、さらなる精進のためのエネルギーとさせていただきたいと思います!!