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「産んでくれてありがとう」を伝えるまでのハードル

母親に「産んでくれてありがとう」を伝えようと思ったのは、ずいぶん前でした。

中学、高校と、反抗しまくって心配ばかりかけていたので、社会人になってからいつか言わなきゃ、と思い続けていました。

しかし、友だちにありがとうは言えても、母親には照れくさくってなかなか言えません。とにかく母が元気なうちに伝えておかなきゃいけないとは思っていました。

盆や正月に実家に帰るたびに、母の姿を見ると、
「まぁ、またつぎにしよう」
と、毎年先送りしていました。

子どもたちが呼ぶように、私も母のことを「おばあちゃん」と呼ぶようになっていました。

「おばあちゃん、あのぉ・・・」
と言いかけては、ほかのことにごまかしていました。

母の日には毎年花を贈ってましたが、渡すときに何も言えず照れながら、
「これ」
と言うだけでした。


たくさん体験した現場活動で思い知らされる

「おかあちゃん!
一生懸命に私らを育ててくれたのに、こんなことで死んだらあかんで!
頼むからがんばってな。まだ親孝行もできてないのに、おかあちゃん!」

意識をなくして酸素マスクを装着した母親の手をにぎりながら、娘さんが呼びかけていました。

私を見ながら、
「ずっとしんどい思いして育ててくれたんです。
苦労ばっかりしていきて、これからやっと楽しんで生きてもらおうと思ってたんです。なんとか助けてください」

そう泣きながら訴えつづけていました。

そのときも、
(そうか、うちのおふくろだっていつこんなふうに意識をなくすかわからない年頃だよなぁ。今、元気なうちに伝えておかないと)
という気持ちが強くなりました。

・・・・・・・ところが、
やっぱり母の顔を見ると、言葉が出てきません。
母はいつも、こちらになかなかしゃべらせずにすごい勢いで話してくるので、タイミングがはかりづらいことを言い訳にして、またも先送りしてしまいました。


とうとう伝える日がやってきた

伝えようと決心してから、20年が経過していました。

「わたしは若い頃からボロボロになって働いてきたから、長生きはできんと思うで」
と、私が子どもの頃から口癖のように言っていた母も80代になりました。さすがにもう言わなきゃいけないだろうと、何度目かの決心をしました。

その日は、私が消防局で早期退職で「退職辞令」を渡される日ででした。
定年退職を迎える先輩たちに並んで、私も辞令を受け取りました。
私は満面の笑顔でした。

職員一同から贈られた花束を手に、退職者が順に別れの挨拶をしました。
最後に私の番がやってきました。

「私の消防人生は、やりがいもありましたし、ストレスもいっぱいありました。
妻が心の病気になっても、勤務のために一緒にいられないことが多かったので、これからは妻と一緒の時間を増やして、自分の新たなライフワークに取り組んでいきます。
みなさんも、くれぐれも心身のバランスをくずさないように、自分自身を大事にして勤務してください」
そんなことを言いました。


母は感動して泣くだろうか?

職員一同からもらった花束を母に渡そうと思いました。

地方では公務員は安定した職業なので、早期退職することを心配はしていたんでしょうが、母は何も言いませんでした。
何も言わないものの、心の中では心配してはいたのだろうと思います。

実家に帰って、母を玄関先に停めた私の車まで連れていきました。
後部シートから花束を取り出しました。

これはもうテレビドラマなどで見かけるようなシーンです。
さすがの母も、感動して泣くだろうと思いました。

花束を渡した時点で、恥ずかしさで私の顔面は紅潮し、額から汗がながれました。

「おふくろ、育ててくれてありがとう」
そう言い、母の反応を見ました。

泣いているかと思った母は、自分の耳に手をあて、
「なにぃ? 聞こえん。耳が遠くなって聞こえんだが」
と言ったのです。

(おふくろよ、2回も言わせるなよ)
と、恥ずかしさは倍増したものの、しかたがないのでボリュームを倍くらいにして言いました。

「おふくろぉ! 育ててくれてありがとぉー!」

さすがに、母もこらえきれずに涙を流しているだろうと思い、その表情を見ました。
すると母は、

「まあなぁ」
と言って笑っていました。

「泣かんのかい!」
とツッコみたい気持ちでしたが、言ったあとはなんとも表現しがたい達成感というか充実感というか、あったかい幸福感がありました。


その一年半後に母は亡くなりました。

母親の存在は偉大ですね。
亡くなってから1年たっても、2年たっても、なにかにつけて母のことを思い出します。
旅番組を見れば、こんなとこにも連れて行ってやればよかった、とか
グルメ番組を見れば、こんな料理も食べさせてあげたかった、とか
後悔も山ほどあります。

それでも、心の救いになるのは、あの日「産んでくれてありがとう」が伝えられたことでした。

これからも、恥ずかしさを乗り越えて、大切な人に「ありがとう」を素直に伝えていきたいと思います。

もしサポートしていただけたら、さらなる精進のためのエネルギーとさせていただきたいと思います!!