デザインセンスのなさに悩んだ過去
画力とデザイン力とは違う!
ということを思い知らされることが、過去に何度もありました。
元美術部だった
そもそも、小学生時代、おそろしく勉強しない、できない6年間を過ごしました。
通知表が5段階評価だった頃のことです。
1か2しか並んでいました。
唯一、「5」がひとつありました。
それが「図工」でした。
図画では賞状に加え、盾や商品のぺんてるのクレパスセットなどを頻繁にもらっていました。
高校では、入学するや美術部に入りました。
しかし、入部してみると恐ろしくうまい女性部員が何人かいて、こりゃかなうわけないぞと、版画をやったり、銅板を叩いたりしました。
ここで画力に対する自信は、大きくゆらぎ始めていました。
部員が私以外は女性ばかりになったので、出づらくなり、やがてギターに熱中するようになったこともあり、辞めてしまいました。
CDジャケットデザインに悩む
今から20年前にCDを作りました。
バンドメンバーと、そのジャケットと盤面デザインをどうするか
相談したところ、
「まかせます」
と言われました。
衰えたとはいえまだそこそこの画力は残っているだろう。
そこそこデッサンもやってきたから、デザインだってなんとかなるだろう。
と甘い考えでPCに向かってタイトルや画像を配置してみるのですが、あまりのデザインセンスのなさに、がっくりとうなだれてしまいました。
デザイン関係の本を読むと、
デザインは才能やセンスではなくて、学習だ
なんて書いてあったりしましたが、学習してもまったく「これだ!」というものはできませんでした。
CDジャケットの変遷
ファーストアルバムは、けっきょく当時の消防の後輩が、休憩時間にマウスをつかって描いてくれた画像に決まりました。
メンバーも「このチープ感がいい!」と了解してくれました。
ちなみにこのファーストCDだけバンド名義で、その後は私のソロと二人のコラボ作となっております。
当初は、「まあ売れなかったら親戚に配るか」というノリで、手焼きCDーRでした。
ところが、予想外に売れ、メンバーで手分けをして、ジャケット・歌詞カード・盤面印刷をしていました。
ところが、プリンターが壊れ、家族を巻き込んでのプラケース入れ作業が続き、我が家の妻から、
「仕事から帰ってから、なんで内職みたいなことやらせられるのよ!」
と激しい抗議が続きました。
「家庭が壊れそう」
というメンバーの訴えもあり、プレスに出すことになりました。
当時は、今とは違ってかなり高価だったんですが、まずは家庭第一ということで発注しました。
鳥取県限定(島根県の松江市あたりまでは含みますが)ではありますが、長らくCDショップの売り上げランキング上位にとどまりました。
遠い昔の思い出です。
以後は、プロのデザイナーにお願いして作ってもらったジャケットです。
そして問題はkindle本の表紙デザイン
kindle出版しようと思い立った時点では、自分でデザインしてみようと思っていました。
数々の先輩kindle作家さんたちは、
「表紙だけはプロにまかせなさい」
と異口同音に書かれています。
いや、シンプルなデザインなら自分でもやれるだろ。
そんな甘い考えは、PCに向かった半日で消し飛びました。
このセンスのなさはいったいなんだ!!
それが認めたくはないが認めざるを得ないゲンジツでした。
プロにお願いするとなると、カーボさんイチオシの みっつさんに即決です。
さすがkindle本の表紙を数多く手がけていらっしゃる方です。
送っていただいた案がどれも素晴らしく、感動しつつ選ばせていただきました。
選んだあとにそのデザインをあらためて見ると、
もうこれしかない!!
と思えるような最高の仕上がりでした。
あらためまして みっつさん、ありがとうございました。
あとは、多くの方に読んでいただけるようにPRしていかねば、と肝に命じているところです!
もしサポートしていただけたら、さらなる精進のためのエネルギーとさせていただきたいと思います!!