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バリアフリーは段差がないことなのか

先日映画を観ました。

出生時に37秒間呼吸ができなかったために、手足が自由に動かない身体になってしまった女性の自己発見と成長を描き、第69回ベルリン国際映画祭パノラマ部門で観客賞とCICAEアートシネマ賞を受賞した人間ドラマ。

映画.comより引用

バリアフリーとは何か?

以前、バリアフリーに関する研修に
参加しました。

そこで印象に残った言葉があります。

バリアフリーとは、段差がないことではない

正確な表現は違ったかもしれませんが、
この映画を観て、その言葉を思い出しました。


「助け合い」が可能性を拓く

もちろん、段差のない設計は
不要だと言いたいわけではありません。
車椅子の方が移動しやすい環境を作ることは
大切な要素の一つです。

しかし、この映画の主人公は、
周りの助けを借りながら、
自らの可能性を切り拓いていきました。

段差があって、行きたくても行けない場所。
そんなとき、誰かの手を借りて
持ち上げてもらう。

その結果、彼女の人生は
少しずつ拓かれていき、
前半と後半で表情がまるで違っていました。


バリアフリーの本質とは?

もちろん、これはあくまで映画です。
現実はまた異なることもあるでしょう。

でも、バリアフリーとは、
「段差があるかないか」ではなく、
「困っている人がいたら助ける」ということ。

道に迷っている人がいたら、道を教える。
妊娠中の方が電車に乗ってきたら、席を譲る。

「当たり前の感覚」を持つこと。
そんなシンプルな心の持ちようなのではないかと思います。


「重度障害訪問」という言葉の印象

脳性麻痺の方は、「重度障害訪問」という
サービスを受けることができます。

「重度」とついているため
「大変な人」という印象を抱きがちです。
もちろん、脳性麻痺といっても、
その状態は人それぞれでしょう。

ですが、忘れてはならないのは、
彼らも私たちと同じように「人」だということ。

そして、彼らにもニーズがあります。


みんな同じ「人間」

友達と遊びたい。
漫画を描きたい。
オシャレをしたい。
恋愛をしたい。

その「フラットな心」と、
「困っている人がいたら手助けすること」。

それこそが、バリアフリーの
本質なのではないか。

そんなことを考えました。

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