仕事におけるセンスとは?
久しぶりに楠先生の本を読んだ。
ビジネス書系の本を読みすぎると、息苦しく?なる気がするのであまり読まない。
しかし楠先生の本は、良い感じの脱力感且つ本質を突くような文書に出会えるので、繰り返し読んでしまうのである。
最近は教育系の本ばかり読んでいたこともあり、本屋で物色していたところ発見したので購入した。
スキルとセンス
「『仕事ができる』とはどういうことか」という、楠先生らしい本質的な問い。
「英語ができる」・「プログラミングができる」・「Excelが使いこなせる」・「統計を使いこなし、高度な分析ができる」etc…
これらのスキルを聞くと「すごい」とはなるが、「=仕事ができる」とイコールなのだろうか。
僕のフィールドである看護で考えてみる。
看護領域でも、看護師資格+αが求められる時代になりつつある(むしろなっている?)。
+αの部分には、スキルを証明する資格が入ることが多い。
専門雑誌などでプロフィールに学位や資格が記載されていると、その人の文書に説得感が増すような印象を受ける。
そんな看護領域ではスキルアップとして、学位や資格の取得が奨励されているような印象を受けている。
スキルアップしようと、学習することは素晴らしいことだ。
知らない知識を身に着けることで、視野は広がり関わり方のバリエーションを増やせたり、クオリティを向上させることができる。
しかし忘れてはならないのは、スキルアップ=良い看護師ではないということだ。
良い看護師とは何か。
もちろん患者さんに良い看護ができる看護師である。
間違っても同僚に「あの人すごい!」と言われることではない。
良い看護、つまり患者さん中心である看護には、ある種のセンスが必要とされる気がする。
それは経験によって得られるコミュニケーションのとり方だったり、看護師の人柄だったり、第六感と言われる類のものである。
要は言語化しにくいのだ。
看護はどんなにエビデンスを積み重ねても、言語化できないセンスが占める比重が高い職業的な性質がある。
スキルアップによって得られた知識・技術を自身のセンスでどのように発揮するか。
発揮の仕方によっては、患者さんや同僚にに不利益なこともあるだろう。
まとめ
スキルアップはわかりやすい。
だから勘違いも起こりやすいといえる。
自分は何のために学んでいるのか。
自己顕示欲を満たすため?
それともより良い何かを実現するため?
謙虚に学び続け、目的を見失わないようにしたい。
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