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著作権とアート的語り

冒頭は、日記と期待になっている私です。世の中には、いいものがたくさんあります。それらが私を一つ外側へ、上へと押し上げる手伝いをしてくれます。

毎回のnoteに私が染み込むように正直に書いています。私でも、やってることでも気になった人はお声がけください。恥ずかしい方は、毎回いいねしてくれたりしてるとメッセしに参ります。


今回は著作権とアート的語りについて考えていきたいと思います。毎回、この前段階の時点では、着地先と書くことがひとつも決まってません。ちょっと硬いテーマですが考えていきましょう。


アート的語りとは

アート的語りとはなんぞと言うことですが、これ勝手に言ってる造語でございます。いつも言葉をプレゼントしてくれる ゆーのと話している最中にポロっと生み落とされた造語です。

では一体なんなのかですが、これは芸術を鑑賞した参加者がその作品を語る際に流れ出る言葉達がもはや作品、アートであるように思えるといったところから来ました。最初は、「参加者の語りは最早アートそのものである」とか長く書いていたのが一瞬で「アート的語り」となったような気がします。すっきりするし、共通概念として割と便利なので、アート的語りとはについて ゆーのと考えた結果を書いてみたいです。


著作権と語り

でなんで、アート的語りと著作権なのと思ったかと思います。

端的に言うと、アート的語りは法律で保護されているということです。


扱いとしては、芸術作品やそれこそツイッターの文章のように生み出した人にそれを扱う権利があり、引用・借用する際には必ず許諾をとったり許可なしに編集してはいけないものとなっています。

もはや、法律的観点から見てもアート的語りはアートなんですよね。

他のワークショップの成果物などでも、その言葉・アイデアの著作権はその著作者にあります。意外と主催してたりすると写真と一緒に許可を取ったきになってしまいますがきをつけなければなりませんね。

なので、「新しい古本」も中身は一般公開致しません。手渡しで読みたい人にお貸しする形になります。

もともとがお借りしている言葉たちなので2次配布は、なしということです。よって、「新しい古本」は「一冊だけの本」でもあります。


そんなこんなで、思ったことがあります。
「アート的語り」もゆーのがつかう「アートな場」というのも別に新しい概念ではありません。すでに文化の中に起きていたことに対して解釈をおこないネーミングをしている限りです。

しかしこれには大きな意味があって、もともとあった営みでも気づかれていなかった営みを明確に照らしてあげることができます。
それこそ「名も無い家事」のように当たり前となって見過ごされていたことに意味を付与してあげれるわけです。

そしてそれを作品のように大切に扱っていく。なんだかとっても文化的、アナログ的な営みですが、効率化されすぎている現代においてこのような穏やかさを内包していくのもよいのではないでしょうか?


「アートな場」、「アート的語り」の説明に語弊がありましたら申しわけございません。その時は後ほど修正致しますのでご連絡をお願い致します。

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ヒキ/Hiki
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