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私がアート鑑賞の場を作る理由

アートを用いた対話の場を作ったりしているわけですが、何でそれをやっているかについて今回は話そうかと思います。なぜやるのかは終わりなき問いですが、現状を共有できればと思います。


はじめに、”豊か”に生きるとは

私が、アートを通した対話の場を作っていく上で外せないのがこの”豊かさ”というものです。ここでの”豊かさ”とは今を十分に感じる事を吟味して、自らに価値のあることであると意味づけを行うという意味で使っていきます。

今書いた通り、私なりの”豊かに生きる”とは自らに価値があると自らが意味づけを行うことです。この自らが意味づけを行うということですが、今は過去から繋がってきたものであり、未来へと続いていくものになります。そうすると、意味づけを行ってもすぐにその時の自分なりの正解は変容していきます。すぐに変わってしまう正解とは本当に正解かと思う人もいるかと思いますが、この場では絶対的正解はなく常に変容し続ける相対的正解が優先されるべきかと私は思います。


豊かにあるために必要な”練習”

では、この変容し続ける正解をどう見つけるかということですが、これには常に自らに問い続ける必要があるかと思います。問いはずっと変わらず「私はどう感じているか」と「それで私はどうしたいのか」の2つになるかと思います。忙しさの中にいるとついつい忘れてしまいますが、地位や名誉、お金よりもずっとその人を豊かにしてくれるのが自己肯定であるのです。それこそ、自己肯定がなければ全ての根底にある健康を害してしまう恐れもあります。

じゃあ、どうやって自己肯定感を上げるための問いかけをしていくかについてですが、これは暗記できる知識ではありません。日常的に行った結果身につく技能であると私は思っています。簡単にいうと自己肯定感を上げるためには、練習が必要というわけです。他人に褒めてもらうなども自己肯定感を上げるには有効な方法ですが、これには持続性がありません。ずっと誰かが褒め続けてくれる様な楽園にいなくては成立しないからです。なので、自らを自ら認めてあげる練習をする必要があるのです。


”豊か”にあるための”練習”

やっと本題ですが、豊かにあるための練習がアート鑑賞になるかと思います。人生とアートってものすごく似ている部分があるので、思いつくだけ挙げてみますね。

1. 正解がない。こうあるのが良いと言われることはあるが、真に正解が存在しない
2. 個人によって解釈が違う。見る側、感じとる側にとってどう受け取るかは様々
3. 能動的に働きかけることが始まり。

などなど、パッと思いつく似ている点を挙げてみましたが、人の生き方とアートっていうのは、様々に相似点があるわけです。なので、私は生き方について考えるためにアートを利用するのが良いと思っています。

そして、絶対的正解のないという部分がいちばん似ている部分かと思います。正解のない問いっていうものは身の回りにありふれていますが、人によっては敏感すぎる内容やあまり触れたくないもの、関心が全くないものなど様々だと思います。そうなってきたときにアートがフラットに個々人が向き合える対象だと考えています。

そして、アートも本質的には正解のないものです。制作者の意図はありますが、作品はその制作者の意図を超えてみる側に自由な解釈を提示してくれます。それを私たちは受け取って「好き」、「好きじゃない」などと判断しているのです。それらは既に制作者の意図から外れ、みる人と作品との一対一の関係性の中で生まれた新しい概念達なのです。

なので、アートをみて考える事は構造的には、”生きる”を考えることであると言えるのです。


アートについてさらに観て・考える場

やっときました本当の本題です。これが私の作りたい場であり、チャレンジしている活動です。

アートについてさらに観て・考える場それが対話型鑑賞であると私は考えています。これは構造的にはアートを見る事を通して、自己肯定感を育む場になれれば良いなぁと思い試行錯誤をしています。

ここで大切なのは、取り組んでいる時のプロセスなのです。私がやりたい事は、人生という正解がない問いに取り組むための練習としてのアート鑑賞なのです。なので結果は重要ではありません。ひたすら正解のない事へ取組み、いつかそれが人生というものについて考えるきっかけになってくれれば良いと思っています。結果ではなくて、あくまでもプロセスが重要なのです。結果というのは、終わってみた時のその状態であるからして、私たちが干渉できるものではないからです。

人生という正解がない問いに取り組むための練習としてのアート鑑賞の一つの場が、私のやっている「対話型鑑賞」「新しい古本」という活動になってきます。

まずは、今どう感じているのかに向き合ってみる。そして、それに終着するのではなく、批判的に今を疑い次を生成していくのです。なので、「対話型鑑賞」や「新しい古本」は生きるために必要な要素の練習になるようデザインされているのだと思います。

最終的には、正解がない問いを問い続ける力になってくるのだと思いますが、これが批判的思考と呼ばれるものになってきます。これは、他の意見を非難するものではなく、今あるものを疑いそうする事で意味づけ・価値づけを行っていく行為です。そして、批判の出発点は、自らとは違う意見に触れる事であります。人の意見に耳を傾ける事で、新しい視点を得て私たちは多角的に自らを振り返ることができるのです。そして協働しながらより良い決定や問題解決をしていくこと、これが批判的思考の醍醐味かと思います。

そして、その他人の視点を獲得しながら、自らを省みてよりよくしていこうとするその働き対話と言われるものであると私は考えています。

まとめ

・他人の視点を借りながら、自らを省みてよりよくしていく対話。
・正解のない絶え間ない問いを問い続けるアート鑑賞

この2つを組み合わせたものが、対話型鑑賞であります。これらを私は多くの人に届けたいと思っているので対話の場アートな場を作っているのです。もう少し、届きやすい様に言い換えるなら、自己決定と批判的思考を育む場づくりかも知れません。

もし興味を持った方がいるなら、twitterや過去記事をみてくださると嬉しいです!
今後も「対話型鑑賞」や「新しい古本」といった場作りを継続して作っていきますので、ご興味がある方は是非ご参加ください!

コメントとかスキをくれるとなおのこと嬉しいです!読んでくださりどうもありがとうございました!






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ヒキ/Hiki
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