「メモの魔力」を、手に入れる。
私は、「手描き派」の人間です。
絵でも文字でも、手で描きたいと思います。
ダイアリーもアプリじゃ嫌、資料もフライヤーも手描きでやりたい。電子書籍もハードルが高い。紙の本の方がいい(私は本をガンガン汚したいタイプ)。
ただ、時代が時代ってのもありますし、デジタルの方がやはり効率が良い。
でもやっぱり、「紙に手書きのほうが熱意みたいなものが伝わる」ってのは自分の信念としてあるし、なにしろ手書きは強烈に記憶に残ります。
しかしこのことを、それこそ自分の中で「言語化」できていませんでした。
「衝動買い」は意外とイイ
SHOWROOM社長、前田裕二さんの「メモの魔力」(文1)。話題書です。
大学内の書店でイチオシされていた為、少し立ち読みしてみました。
私は本をついつい衝動買いしてしまうタチなので、「家に帰った時に欲しいってなったら買う」という自分ルールを決めています。
しかし、衝動買いしてしまった。
理由としては、
・もともとSHOWROOM利用者であったため興味あった
・研究テーマである「抽象思考」について語られていた
・就活生に必要であろう「自己分析」について述べられていた
・元AKBヲタとして、秋元康の話題は血湧き肉躍るものがあった
というものです。これは買うしかない。
いつも衝動買いしてしまった後は、家路につきながら後悔してしまうのですが、いざ読み始めるとその後悔の念は消えています。
これが良くない。また衝動買いしてしまう動機になる。
やはり今回も、とてもイイ本でした。
「メモは姿勢である」
前田さんは"メモ魔"として、「メモとは、なんらかの目的を持って、日々あらゆる情報にアンテナを張り、そこからなんらかの知的生産を行う意識を持つという貪欲なスタンスが重要」だと述べています。
前田さんは1本の映画でも、10〜100ぐらいのポイントをメモするそう。
毛穴を剥き出しにして、狂ったようにメモをする。
「走りながら考えろ。」私の研究室のH教授の言葉が思い出されます。
他人の話をメモることは「聴いてるアピール」になる
そんな前田さんの挙げるメモの効用です。
①知的生産性向上:アイデアを生み出せる
②情報獲得の伝達率向上:情報を素通りしなくなる
③傾聴能力向上:より深い話を聴き出せる
④構造化能力向上:話の骨組みがわかる
⑤言語化能力の向上
これらにより、
・自分を客観視でき「人生のコンパス」を手に入れられる
そうすることにより、
・メモすることで夢を現実にできる
と述べています。
この中で、「③傾聴能力向上」にはなるほど、となりました。
これは紙としてのメモを人に見せるという「コミュニケーションツール」としての利用法です。
具体的には、「感情の返報姿勢の可視化」、つまり「人の話をメモることで聴いてるアピールになる」ということ。
「ファクト→抽象化→転用」やってみた
前田さんは、知的生産活動のためのメモ法として、「ファクト→抽象化→転用」を提唱しています。
⑴具体情報(ファクト)を正確に受け取り、
⑵ファクトから気づき、背景、法則、特徴など、ほかに転用可能な要素を抽出する(「抽象」という言葉の定義とほぼ同義)
⑶抽出したものを他のものに活かす(転用)。
素晴らしい!!まさに「自分なりの抽象思考を言語化」できているのだと感じました。
抽象思考した方が、良いアイデアが生まれやすいというのは、このことを言っているのかもしれない(この話についてはまた別の記事で…)。
とりあえず行動、ってことで読了の翌日、感じたものなどをiPhoneにメモしてみました。
酷い。そもそも数が少なすぎる。
ただ、この日は「桜側が可愛そう」という話題をこの後2回することとなりました。
言語化することで頭に刷り込まれ、別の場所で新たな話題を生み出すキッカケを作れたのだと思います。
これはメモのまた一つの効用であると気づけました。
ここで、「ファクト→抽象化→転用」の流れを取ってみたい。
例えば、「誰にも見られない桜。」
これは、花見することすら自粛しなければならないこのご時世、桜の気持ちになってみれば可哀想だ!という話です。
1年に1度しか咲くことのできない桜。桜さんからかしても、「1年に1回満開してるんやから、俺の麓で呑んでくれよ」と思ってるかもしれないし、「今年は人おらんし何の気なしに満開できるわ〜!」と羽根を伸ばしてるかもしれない。
これを抽象化してみる。
「無生物の気持ちになって物事を考えている」
「植樹されてる(ソメイヨシノは大体植樹)=観られるためにある=やはり可哀想なのでは」
「今だと不謹慎ですが)桜を撮りたいカメラマンにとっては、「人のいない桜満開」というのは撮り甲斐があるかも」
「風物詩の放置」
「桜によって季節を感じられていた=今年は春感がない」
いや…抽象化ムズ…
抽象化しようと思ったら、気づいたら転用してしまっていたりして、まだまだ経験不足、と言った感じです。
また、抽象化すべきファクトの数が少ないが故に、抽象化しにくいファクトが並んでいる可能性が高いとも思います。
とにかく、まずは発散的にファクトをメモしていけるようになりたいと感じました。いかに今までのメモが「ファクトを書き留める作業」だったかを思い知らされました。
では、「転用」にチャレンジ。
「無生物の気持ちになって物事を考えている」
→擬人法のあるべき姿?
「植樹されてる(ソメイヨシノは大体植樹)=観られるためにある=やはり可哀想なのでは」
→抽象化が下手すぎてどうしよう
「桜を撮りたいカメラマンにとっては、「人のいない桜満開」というのは撮り甲斐があるかも」
→カメラマンと被写体のあり方
「風物詩の放置」
→抽象化が下手すぎてどうしよう
「桜によって季節を感じられていた=今年は春感がない」
→「桜を家で楽しむことはできないのか」という問い
「カメラマンと被写体のあり方」は、なにかに活かせそうだと思いました。
需要と供給の関係が成り立っている気がしないでもない。
ここまでやるだけでも、なんとなく感覚がわかりました。
体感を持って経験しないと、やはり染み込みませんね…
まだ「抽象」のフェーズにまでファクトを持っていけてないですが、今後とも精進していきたいと思います。
メモは魔法の杖
前田さんは「メモは魔法の杖である」と述べています。
本書で前田さんが伝えたいのは、メモのノウハウというよりは、「メモによって自分を知ることができる」ということです。
来たるAI時代に対抗するため、人間個人単位での価値を見いだすことが今後大切になってきます。「人としてのオリジナリティ」です。
私もメモで自分を見つめ直し、人生のコンパスを手に入れたいと考えています。
皆さんも是非、本書を読んで、私と一緒に魔法の杖を操りましょう。
ではまた次の記事で。
【参考文献】
文1) 前田裕二、メモの魔力、幻冬舎、2018
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