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誰も喋らず自転車を漕いだ

「ヒデらは、南港まで行ったらしいで」

「浜ちゃん達は、橿原神宮まで行ったらしいわ」


小学5年生の夏、僕らの間ではそんな話で持ちきりだった。

当時、

「自転車で誰が一番遠くに行けるのか」

これが僕たちの間で話題の中心となっていた。


キッカケが誰だったか定かではない。

誰かのグループが、急に思い立って、思いの外遠くまで自転車まで行けたことを、自慢げに話したのだろう。

1日かけて、できる限り遠くまで自転車で行き、ただ戻ってくる。

大人になって考えると、バカげた、生産性の全く無い行動だ。

ただ、当時はそんなことはどうでも良かった。

ひたすらに遠くまで行きたい。
自慢したい。
俺たちはこんな冒険したんや。

これだけが大事で、それ以外のことはどうでも良かった。

僕らの間では、それを「旅」と呼んでいた。


奈良の片田舎の町。

法隆寺に車で10分程の落ち着いた町の上牧町では、小学生の間で、こんなことが行われていた。
昭和から平成に変わったばかりの頃の話である。




僕らは「旅」をしたくてウズウズしていた。

やっと少年野球が休みになったある日曜日、僕ら4人は、旅に行くことにした。

朝の5時、団地の外れのスーパーやまかつの前に集まった。

オカンに怪訝な顔をされながらも、小遣いの少ない僕は簡単な弁当を作ってもらい、カバンに押し込んで家を出た。

「こんな朝はよから、どこ行くん」

と聞いてくるオカンに、

「ええねん。これから決めるねん」

と答え、

「そんなアホな」

と返された。

「どこ行くかも決まってへんのに、こんな朝早く集まるなんて、ありえんの」


約束通り、早朝の5時に4人集まった。

クロは、新しく買ってもらった6段の変速ギア付きの自転車で来た。

カッコいいやつだ。

僕のチャリには変速ギアは付いていない。兄貴のお古だ。まあ、しょうがない。



どこに行くかの作戦会議を始めた。

ミノルが家から持ってきた地図帳を広げた。

大阪に行った奴らがおるから西はあかん。

橿原に行った奴らがおるから南もあかん。

天理まで行った奴らもおるで。東もあかん。

ほな、俺らは北に行こう。橿原神宮に対抗して、宇治の平等院鳳凰堂を目指そう。

そういう話になった。


当然ながら当時スマホも無い。

ミノルの地図帳と、それぞれの頭の中の地図を頼りに走り出した。

高揚する気持ちが抑えられず、会話にも熱が籠る。

俺たちが一番遠くへ行こう。俺たちが歴史を作ろう。

ずっと、そんな話をしていた。笑顔が絶えない。

ガチャガチャガチャ。

クロが、変速ギアを6速に入れた。

高まった気持ちが、ギアに表れたのか、クロはスピードアップした。


太陽が頭上から照りつける中、僕らはひたすら北に向かって自転車を漕いだ。

当時流行っていたシカゴブルズのキャップを4人中2人がかぶっていた。

僕は、他人と一緒になるのが嫌で、フェニックスサンズのキャップにしていた。

サンズのキャップが日差しを遮ってくれる。

どんどんペダルを漕ぐ。

国道に出ると自転車の道は狭くなり、一列で走ることになった。

気づけば、口数は減っていた。



「ジュースでも買おう」

誰からともなくそういう話になり、最初の休憩をした。

ビリビリビリ。

マジックテープの財布から、百円を取り出す。この財布も兄貴のお古だ。

自販機で買ったスコールが、喉を潤した。



もうかれこれ1時間、誰も口を開いていない。

ただ、黙々とペダルを踏む音だけが響いた。

平等院鳳凰堂がどれくらい先にあるのか、僕たちには全く分からなかった。

ただひたすらに国道を北に走り続けた。


右手に折れれば、奈良公園という標識が出てきた。

見に行くかという話にもなったが、大仏なんか見てもしゃーない。

みんな、幼稚園の遠足、家族、親戚、昨年の小学校の遠足など、4、5回は行ったことがある。

僕らは北に向かってひたすらにペダルを漕いだ。


国道沿いの景色は単調で、埃っぽく、時折車がビュンと音を立てて通り過ぎた。

僕たちは汚れた歩道の脇に座り込み、持参した弁当やおにぎりを広げた。

この時ばかりは、いくつか言葉を交わした。

しかし、きっと僕らよりもセミの方がよく喋っていた。

僕たちは、再び自転車に乗って走り出した。

時間がどれだけ経ったのか分からない。

クロは、全くギアを変えなくなっていた。



時折見かける道路標識には「木津」という地名が書かれていた。

しかし、正直言って、それが京都のどこにあるのかも、どれくらい平等院に近いのかも知らなかった。


2時か3時になり、そろそろ引き返すべきだと誰かが言い出した。

よくわかったことに、奈良の上牧町から宇治は、果てしなく遠いということだ。

それ以外に、得た知識は無かった。


それでも良かった。

平等院鳳凰堂には辿り着けなかったけれど、誰もそのことを口にしなかった。

僕たちは無言のまま、来た道を引き返した。


翌日、学校で僕たちは誇らしげに話した。

「昨日、チャリで木津まで行ってきたで」と。

誰も平等院鳳凰堂のことには触れなかったが、それでもあの旅は忘れられない思い出になった。



そう、あれは僕らにとって冒険だった。

紛れもない冒険だった。

1日かけて、ひたすら北に行く。

そして、ただ引き返す。

道中、楽しいお喋りがあるわけでもない。

美味しいご飯があるわけでもない。

大人が聞くと、理解に苦しむ行動だ。

それでも良かった。

僕らは「旅」をしたのだから。





追伸:

今回、「忘れられない旅」というテーマがあるということで、小学校の時の思い出を書いてみました。

当時は、冒険心に溢れていたなと思います。

それに比べ今は、「たび」と入力すれば、パソコンの自動変換で

「度々恐れ入ります。」

と出てくる僕です。

今回のエッセイで、何度も「たび」とタイピングし、その度に「度々恐れ入ります。」というフレーズを削除する、ということを繰り返しました。

その度に、つまらない大人になったなと、苦笑しました。


パソコンの自動変換を活用する僕は、ただ機械のように、ただ生産性を上げようと、仕事のタイムパフォーマンスを意識した人間なのでしょう。

そんな僕にも、あんなにも非生産的な時代があったのかなと、懐かしく思います。





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中川達生/AI開発のROX CEO
最後までお読みいただき有難う御座います! サポート頂ければ嬉しいです😃 クリエイターとしての創作活動と、「自宅でなぜ靴下が片方無くなることがあるのか?」という研究費用に使わせて頂きます!