「俺56才やけど、今から歩きで日本地図作るわ」でお馴染みの伊能忠敬から学ぶ大事なこと
僕自身、”歩く”こと自体が好きになって、数年経ちます。
ジョギングをたまにしていたんですが、ジョギングはそのために靴を履き替えて、服も着替えて、とハードルが若干高い。
「やるぞ」と気合を入れる必要がありました。
それに比べて、”歩く”ことは、ちょっと仕事の空き時間で、
「次の打ち合わせ場所まで、歩いて行こうかな」
くらいの感覚でできます。
手軽な健康法として、よくやるようになりました。
なので、歩くこと自体への興味が湧いてきていたのですが、
そんな中、ふと子供の時に自分の父親が「四千万歩の男」を読んでいたのを思い出しました。
四千万歩の男。
そうです。
日本で初めて日本地図を作った偉人、伊能忠敬です。
しかも、歩いて、海岸線を測量した人物。
一日十里(約四十キロ)歩いたとも言われています。
彼の日本地図が、現在の最新の科学と測量方法で作る地図と、ほとんど違わなかったとのこと。
そんな彼を描いた小説を読みました。
結論として、かなり面白かったです。
さすが、レジェンド井上ひさし。
歴史的な云々は抜きにしても、ドラマとして、物語として、おもろかったですね。
ただ、長い。。。
”お時間のある方には”オススメできますね。
さて、伊能忠敬から2つの大きなことを学んだ気がしたので、noteにまとめたいと思います。
何歳からでも遅くはない
学んだことの一番はコレだと思います。
伊能忠敬は、なんと56歳から日本地図を作る第一歩を踏み出しました。
それから17年かけて、日本の海岸線を歩き通して、精緻な日本地図を完成させます。
改めて、何を始めるにしても、遅すぎることなんてないなと、学ばせてくれます。
ちなみに、伊能忠敬が生きた1800年前後の平均寿命はいくつだったのでしょうか?
諸説あるようですが、
1800年前後の日本人の平均寿命は30~40歳だったようです。
その時代に、既に56歳。
めっちゃお爺ちゃん扱いの中で、それでも歩き始めるのですから・・・
体力、精神力ともに驚愕です。
僕も一応、34歳からプログラミングを始めるという超遅いスタートをきった経験もあります。
その時も、色々と考えましたが、僕なんか小童ですね。
伊能忠敬のこのスタートの遅さは、現代に対しても何にチャレンジするにしても、勇気をくれる事実だと思います。
好きなことをやる
伊能忠敬から学んだことの二番目はコレですね。
「好きなことをやる」大切さです。
いくつかの視点が必要なんですが、
まず、伊能忠敬自身が56歳までは、そこまで好きではない仕事をしていたという側面があります。(詳細な理由は後述)
それは、作中でも描かれており、伊能忠敬自身が好きな天文学(測量)の延長で、日本地図を作成して、とても生き生きとして描かれています。
実際にも、そうだっただろうと思われます。
やっぱり好きなことを仕事にするのは、大事やなと思います。
そして、いくら”好きなこと”だとしても、体力的にも精神的にもキツい仕事なのは間違いありません。
17年もかけて、やり切る大仕事のわけですから、やはり根底に”好きなこと”という支えがあったからやり切れたのだろうと思います。
最後に、これが一番大事だと思う点があります。
伊能忠敬自身は、56歳までにも、当然いろんな仕事をしています。
農家や名主など、色々な仕事をやってきました。
それでも、歴史的な大偉業として世に残る仕事となったのは、地図作成だったのです。
つまり、”好きなこと”になります。
話は大きく飛びますが、野球の大谷翔平選手も、野球を好きなことをしている延長だ、ということは、よく強調されています。
やっぱり、卓越した成果を出すには、人間、”好きなこと”を仕事にするのが一番なのかなと思います。
また野球の話になるですが、以前読んだ菊地雄星選手の本で、彼の座右の銘が非常に良いなと思い、ノートに書き留めました。
「夢中は努力に勝る」
という言葉です。
これは、一つ世の中の真理ではないかなと感じています。
これが真理やとすると、僕たちが次にやることは一つ。
「好きなことをやる勇気を持つこと」になるんかなと思います。
僕も経験ありますが、仕事などは特に「周りがやっているから」という理由で、選んでしまう側面がありました。
しかし、周囲などには惑わされずに、確固たる意志で、”好きなことをやる”という根性を持つことが、何よりも大事かもしれへんな、と気づいた次第です。
話が大きく外れすぎて、すいませんでした💦
ただ、時空を超えて、伊能忠敬から、大事なことを再認識させられた気持ちです。
学んだ大事なことは、以上です。
以下は、雑記です。
作品への所感
▶︎なぜ56歳からスタート?
なお、少し意外なエピソードがあります。
ほな、伊能忠敬は56歳まで何しとってん?という話です。
伊能忠敬は、丁稚奉公から伊能家の婿になった経緯があります。
その時代ですから、婿の立場は極めて弱く、奥さんが家庭の権限を握っていたとのこと。
また、その奥さんがとても強い気質の持ち主だったようです。
一言で言えば、恐妻家と言いますか、鬼嫁と言いますか。そんな感じです。
その奥さんが、死去したんですね。
それまでの伊能忠敬は、奥さんを恐れて本当に真面目に家の仕事をしていただけの、大人しいキャラだったようです。
それが、奥さんが死去してから一変。
夜も飲み歩くようになったり、それまで好きだったが封印していた天文学や測量学を始めるようになったり。
その天文や測量が高じて、最終的に日本地図作成の一歩目を踏み出すようになったようです。
人の人生、わからないものです。
▶︎親父からのLINE
ちなみに、全5巻の長編のため、読み始めるのに日和った僕は、父にLINEしてみました。
「昔、四千万歩の男、読んでたやろ?おもろかったか?」
父からの返答はこうでした。
「井上ひさしやぞ。おもろないわけがない。」
安心して読み始めることができました。
ちなみに、読後に親父と話していて教えてもらったのですが、
「伊能忠敬は、17年かけて日本の海岸線歩き通し、
日本地図を作り上げた。
でも、最初はどの訪問地でも、相手にされていないかったらしい。
一応、国のお墨付きの仕事でやっているのだが、扱いが酷かった。
それが、旅路の最後の方になると、伊能忠敬の人気が凄くなって、
どの旅籠でも、大宴会の毎日になったらしい。
伊能忠敬ご一行を、どの街でも総出で出迎えて、
大盛り上がりだったらしい」
とのこと。
確かに、井上ひさしの四千万歩の男では、旅路の最初の1/5程度しか描かれていません。
まだ、どの訪問地でも、重宝される様子は全くないです。
なんというか、江戸時代の人々の気質が垣間見える気がします。
おもろいものですね。
▶︎ エッジの効いたキャラたち
個人的にテンション上がったのは、作中に様々な江戸時代の偉人が出てくるんですね。
しかもキャラが濃い。
間宮林蔵、平賀源内、十返舎一九、葛飾北斎など、教科書にも出てくる偉人ばかり。
さながら江戸オールスターです。
二宮金次郎も、めっちゃ洒落てます。
百姓やのに、金に鋭い。算数がとてもできるという傑物です。
読み応えがありました。
もちろん、あくまで井上ひさしが描いた伊能忠敬やその周辺の人々であるので、現実はもう少し違った人物だったかもしれません。
例えそうだとしても、エンタメとしておもろかったですね。
5巻の最後に、井上ひさしの後書きでこんな一説がありました。
「書けたのは、まだ伊能忠敬の全旅路の1/5程度だ。」
ということは、全旅路を読もうと思ったら、25巻になったんかい、と思うと末恐ろしくなります。
が、そうやとしても、関西版の旅路で、奈良や兵庫、大阪をウロチョロする伊能忠敬の話は読みたかなったなと、叶わぬ感想を持ちました。
今日も読んで頂いて有難う御座いました😃
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