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(240213a) 他人に判断を依存して、その責任を他人に完全に擦り付ける事の卑怯さ。
宗教などに於いて、他人の命令を完全に受け入れるまでは、
可愛(かわい)らしいが、
何か不都合があった時に、その責任を、
【完全に命令者に擦り付ける】事の醜(みにく)さ。
確かに、命令者にも責任の一端がある事は確かだ。
自分だけの行動とせずに、他人にその理不尽な内容を命令したからだ。
ただし、命令を受け取った側も、それを是として受け取った責任は有る。
もちろん、全てに完全に責任があるとは言わない。
でも、ある程度の責任は生じる。
屈服責任とも服従責任とも言えるものだ。
命令者も命令者ならば、服従者も服従者である。
共犯者たちである。
こんな所が、今の日本人にはある。
創価学会の人間。
世界大戦前後の旧日本帝国軍の帰還兵たち。
結局、誰に責任を押し付ける事が出来るかを、
誰でも「いつも捜している」のである。
生け贄にできる奴らを、いつも血眼(ちまなこ)で、捜しているのである。
そういう卑怯さが、今の日本人には、確かに在る。
明白に言っておく。
理不尽な命令を出した人間にも、確かに責任は有る。
しかし、理不尽な命令を受け入れ、服従した人間にも、確かに責任は有る。
大抵の場合、命令者には責任が及ぶが、
服従者には、責任が及ばない事が多々ある。
まあ、
年端(としは)も行かない子供だったと、判断されるのかも知れない。
ただ、ここの所で、
「明白に命令者だけに責任を押し付ける奴が居たら」そいつこそは、
明白なクズ人間である。
そんな傾向が、今の日本人には在る。
よくよく注意しないと、日本は(世界大戦時の愚かさを)繰り返すだろう。
だから、
こんな事を成した、旧日本帝国軍の罪は、果てしなく大きい。
日本を、日本人を、ほぼ完全に台無しにした。だからだ。
こんな責任の擦り合いをしている限り、日本は回復しないだろう。
こんな感じです。
とりあえず、
以上です。
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