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買物支援ロボットの未来の可能性

今回は、まちづくりにおいて、これから普及していくロボット社会に対してどのように考えていくかを考えてみました。


ロボット社会の未来

今AIやロボット、自動運転の話題が多くなってきました。人手不足の時代に、人件費を削減するためのロボットという開発が多いように思います。
しかし、その結果、全部全自動で、街中にはロボットしかおらず、人は、家に引きこもっているような未来は、誰も望んでいないのではないでしょうか。

ロボット社会の未来の想像図?

ロボット社会の未来の想像図を見たときに、ロボットがどのような描かれ方をしているのかで、ロボットに対する扱い方に文化による違いが現れるように思います。ロボットを人間の命令の言う事を聞く召使いのような存在として考えるものが主流のような気がします。

主従ではなく、友達

しかし、本当は、何でも人の命令にしたがうロボットではなく、人と友達になれるロボットの方が日本的ではないかと思います。日本のアニメでは、有名な「未来の世界の猫型ロボット」が、主人公の友達のような存在で登場します。私たちのロボット像はどちらかと言えば、こちらの姿なのかもしれません。

ロボットは人の何のニーズを満たすのか?

では、何のために社会にロボットが存在する意義目的と、それが何を生み出すのかを考えてみたいと思います。社会に商品として存在するためには、そのものの商品価値とそれを払っても良いというニーズがマッチする必要があります。
ロボットの場合は、人の代わりなので、人がやりたくないと思うことを代わりにやる存在として、市場性が出てくるのだと思います。そういう意味で、お掃除ロボットがわかりやすい存在だと言えます。

コミュニケーションツールとしてのロボット

もう一つは、コミュニケーションツールとしてのロボットという存在があるのではないでしょうか?

人は社会性の生き物ですから、人と触れ合う事で生きる意義や目的、喜んでもらう事でやりがいが生まれると思います。

実際スマートフォンという存在が生まれて、その前後での私たちのライフスタイルは大きく変化したと言えます。電話は相手が必要だったものが、インターネットの社会では、時間と空間を超えて、コミュニケーションができるようになりました。

ロボットが家族になる!?

かの猫型ロボットは、小学5年生のコンパニオンロボットでしたが、小子高齢化の進む今の日本には、年金生活5年生くらいのおじいちゃん、おばあちゃんのために必要なのではないでしょうか?

高齢者の買い物難民の話がよく話題にあがりますが、アレクサに頼めば、違う黒猫さんが運んでくれます。忙しい現役世代にとってはありがたいのでしょうが、高齢者にとっては、買い物に外出できる事が、生きる上で重要で価値がある事だと思います。

つまり、外で人と関わる機会を増やすために、お家まで届けてあげるサービスではなく、買物に出てこれるような、買物支援のサービスが必要なのではないでしょうか。

必要なのは付き添いロボット?

その時に付き添ってくれる支援をマンパワーでできるのが理想ですが、不足してしまう人手を、サポートできるロボットがあったら良いのではないでしょうか?

要素技術はすでに存在している

例えるのであれば、今あるテクノロジーの機能で言えば、移動手段とコミュニケーションツールが融合した形ではないかと思います。
 移動手段:電動シルバーカー又は電動カート
 コミュニケーションツール:アレクサなど
 ナビゲーションシステム:グーグルマップなど
 スケジュール管理:グーグルカレンダー、メモなど

単機能としてのテクノロジーは上記のとおりハードとソフト(アプリケーション)が開発されて来ています。

あとはどうやって社会に実装していくか

人を外に出す仕掛けをまちづくりの文脈で考えていく時代になったと言えるのではないでしょうか。これらをうまく組み合わせて使うことで、「人が人としていつまでも、元気に生活出来るような社会」を実現できるのではないかと考えています。

ロボットと共存する現実の都市空間のあり方

人とコミュニケーションする場所が、バーチャルとなり、ゲーム空間というのは現実にすでに行われている時代ですが、だからこそ現実の都市空間のあり方についてはよくよく考えていく必要があると言えます。

都市空間が社会から求められるニーズ

今後の都市空間は、単に経済合理性でボリューム化するのではなく、より居心地がよく、健康で居られる環境にニーズが高まって行くと予想されます。
そうしたときに、高齢化していく社会に対してどのようなサポートができるのかが大事になります。そのケーススタディとして買い物支援ロボットの社会実装をどうやって都市居住空間にインストールするか研究に値するのではないでしょうか?

ロボットはともだちになれるのか?

実はこの考え方は、世界的に見たら日本は特殊だという言われています。

ロボット、AIというと脅威論としてみなす風潮がありますが、日本ではロボットともだち論の方が、馴染み深いように思います。これは、外的に侵略された経験の有無による知らないものに対する脅威の感じ方のような気もしますが、あえて世界的には非常識に思えるロボット社会を日本で実現できたら面白いのではと思いました。


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