2023/09/17 失敗は成功のもとだけれど
最後するには多くの失敗をした方が良い
成功するためには多くの失敗をした方が良いと言われるけど、やっぱり失敗することは怖い。
失敗しない事を優先し過ぎた結果
改めて自分の人生を振り返って見ると、最初に失敗しないことという先入観が強いことに気付かされる。
結局大事だったのは、失敗しないことではなく、失敗してもちゃんと立ち直る強さだったということ。
子どもを過保護にしすぎてうまくいかないのもこれと同じだ。
モテるためには、たくさんフラれれろ
オタキングこと岡田斗司夫氏も、モテるためには、たくさんフラれる経験をしろ、フラれることに慣れたらモテると言っていた。
社会が失敗を許さないマインドが強かった
しかし、これまでの自分の人生では、失敗しないように、というマインドが強かった。社会人になってからも、世の中がどんどんうまくいかなくなって、会社に入る前は世の中がイケイケどんどんの時代だったのに、会社に入る直前から、入ってからはずっとうまくいかない状況が続いたので、とにかく、余計なことはするな、リスクは取るな、ひたすらコストダウンと言われてきたので、リスクをとってチャレンジするという事ができない状況でここまで来てしまった。
また、世間やマスコミも失敗した人をハイエナの様によってたかって、取材し世間の晒し者にして、世の中もそれを嘲笑う事でストレスの捌け口にしていた。
また、世の中が上手くいっている時は、何もしなくても上手く行くので、賃金も上がるし、資産価値が上がるから、リスクを取る必要がなかった。
これからは逆の時代に
ある意味、これまでやってこれてしまったのは、幸か不幸かそれでもよかった時代だったからであるが、これからの世の中の状況を考えると、そうも言っていられない状況にある。
人に任せていると、ドンドン悪くなる時代に
不確実性の時代においては、誰かに委ねて生きていく事は難しくなり、ある意味共倒れしかねない状況にある。これからの時代は、自分自身で判断して自分で行動する事が求められる時代になる。そのための社会的な変容は少しづつ起きていて、自分自身がそれに対して、行動できるのかを問われている。
逃げきれない世代はヒトゴトではない
少し上の世代は、それでもなんとか逃げ切れるのかもしれないが、自分たちの世代は、旧世代の社会システムでやってきてしまったが、新世代の社会変化にはついてはいけない。
組織病
情報の概念、考え方が、これまでは、ある程度集積しないと、判断ができないため、組織化し情報を集約し、トップが判断するというような構図が合理的であった。しかし、今はその組織自体が大組織化してしまうことの弊害が強く、むしろ、情報自体は、ネットにより時間と空間を超えることができるようになったために、意思決定する単位は、大きな組織である必要性はなくなった。
恐竜時代の哺乳類の様に
つまり、小さい単位で動く方が都合が良い時代になった訳である。これは実は明治維新前の江戸時代の状況に近いような気がする。その時は、今のはまったく逆に、情報、つまり人の移動が制約されていて、ほとんど動かないので、大組織化する必要がなく、せいぜい家単位でなりわいをする形であった。ほとんど社会構造が変化せず安定していたために、その部分にとって特化したものが生まれた時代でもある。
世は正に大転換時代に
これからの社会は、明治維新前の固定化されたものが、完全に分散化されて一度大きな組織に形作ったが、それがまた分散化されて、再度小さなものに動いているというダイナミクスの中に存在していると考えている。
動いた人だけが、成果が出る
数年後にその結果が出るのであろうが、このプロセスにおいて、答えはない。ただ言えることは、このタイミングで動いた人だけが、成果が出るということで、動かなかった人は、そのまま時代と共に沈んでいくことになるだろう。
沈みゆく戦艦日本(ヤマト)
ということで、沈みゆく戦艦大和と共に、自害するのか、それともボートを作って、漕ぎ出すかが求められている。そんな状況だろう。
失敗を恐れず、失敗するつもりでチャレンジしたい
とにかく失敗を恐れずに、どんどん失敗するつもりでチャレンジを続けたい。
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