人間の根本価値
京都の富豪に招かれた一休さん。
貧しい身なりで富豪の家の前を通りかかると、門番に罵倒されてしまう。
そして次の日。。。
一休「ちょっと用件があってのう。主人に会いたいと言ったら、乞食坊主にご主人が会われるかって、追いだされましてなあ」
主人「それはそれは、知らなかったとはいえ、ご無礼いたしました。どうしてまた、そのとき、あなたさまのお名前を、おっしゃってくださらなかったのでしょう」
平身低頭する主人に、紫の法衣を脱ぎすてた一休。
一休「この一休には、なんの価値もない。紫の法衣に価値があるのだから、この法衣に、お経を読んでもらったらよかろう」
法衣を置いてサッサと帰っていったという。
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人は、決して身なりで判断してはならないとよく言われる。
身なりなんかで、人間の価値がわかるものではない。
しかしながら、私たちは本当に『身なり』で判断してはいないだろうか。
『身なり』とは外部に見える、その人の学歴、経歴、会社、スキル、子供などだ。
一見華々しい経歴な人は世の中にいる。
確かに素晴らしいものだが、最後には必ず全てを失う時が来る。
認知症になったりもするだろう。
おぼえていた事を一切忘れてしまう。
それでも残り続ける『人間の根本価値』
人間として生まれ、人間として生きる価値である。
もしあなたが今持っている『身なり』を引き剥がされたらどうだろうか。
丸裸にされた自分に残っている価値は何か?
人間の根本価値は仏教にしか記されていない。