経営者の父と話してわかった「禅」と経営の共通点。
就活もある程度落ち着いたので、本格的に将来に向けての情報収集を始めよかなぁ。
まずは、親父。
税理士、経営者、経営コンサル、投資家という肩書を持つ親父の話を聞かないのはもったいないということで、
先日、経営について軽く聞かせてもらった。
そこで、「なぜ経営者が禅にハマるのか」という疑問に対する答えが主観的だが、仮説がたったので、共有していく。
1.まず、禅の精神とは
マンションの図書室に「禅と日本文化」という古本が置いてあったので拝借。
禅はあの達磨(だるま)が始めたんだって。
だるま人形の手足がないのは、
彼が禅組みすぎて手足が無くなったかららしい、怖すぎやろ。
きったねぇ本だったが、なかなか面白い。
まだ全然読んでないけど、禅だけに。
上手くもないクソおもんない冗談はさておき、
「禅」とはなにか、軽く理解した。
禅は本質は簡単に言うと「実際にやってみ」ってことらしい。
ここから、本に書いてあった例を紹介する。
そこには、泥棒のプロをやっている親父とその息子がいる。
息子「俺も泥棒やりてぇから、盗みについて教えて」
親父「おけ、じゃあ今日盗みにいくからついてこい」
息子「おけ」
その夜、ターゲットの屋敷に二人で忍び込んだ。ここから親父がマジでやばい行動をとる。
なんと、
息子を井戸に突き落として、
「おーい、皆さん、井戸の中に怪しいもんがおるで!」と叫けび、親父はそのまま逃げた。
息子はなんとか自力で逃げた。
息子「おいざけんなクソ親父」
親父「よく逃げてきたな。口で教えても意味ないんや、体験しないと身につかん。」
自分がこんな事されたらブチギレぴえん案件だが、これが「禅の精神」らしい。
禅は、机で仏教のお勉強するんじゃなくて、
禅を組む事で、体験することで理解を深める。
のが禅の本質らしい。
だから、頭が良くない体育会系の武士達にはフィットしたんだとよ。(鎌倉に禅の寺が多いのはこれが一つの理由)
2.経営学は帰納的
ここで、親父との会話を思い出す。
「経営学は帰納的」。
まぁ、学問は基本的に帰納的だよね。
父が言うには、
経営学を学ぶことは、経営者になりたい人にとっては本質的ではないらしい。
もちろん、知っておくにこしたことはないが。
正直、なにを言っているのかパッとしない。
簡単に言うと、
経営学は実際に経営の事例を、後から論理的に逆算した結果でしかない。
つまり、論理的なこじつけが多い。
経営者自身は無意識にやっていた事が、のちに経営学者に分析されて、あたかも論理的に聞こえるようになっていると言うのだ。
だから、「経営者になりたい」、
「経営者の考え方を知りたい」、
と思う人に1番必要なのは
「実際にやってみる」ことらしい。
へー。あれ、禅の精神と似てね?!
3.禅と経営の共通点。
「実際にやってみ」が経営者と禅の共通点の考え方のようだ。
だから、世界の経営者が禅にハマってるのかなぁと、仮説だが思った。(こうやって仮説を立てること自体、帰納的なような気もするが)
たしかに、村上ファンドの村上世彰さんも小学生から株に投資してたし、渋沢栄一も14歳で藍の買い付けを一人でしてたみたいだし、「実際にやってみ」精神があるような気がする。
トリビアの泉の「実際にやってみた」も禅の精神なのかもね。知らんけど。
追記
あと最近、禅を通したメンタルコントロールだったり、アート思考の部分もビジネスマンに注目されてるみたいね。
そこらへんも、調べてみよ。
なんか気付いたらまたそれについて書くかも。
こんなふうに、主観的だとしても、知識が繋がって仮説がたつのは面白いなぁ。
今度、禅をやってみたいから誰か一緒にいこ。