修論が認められた!執筆1年の軌跡
すっかり執筆をさぼってしまっていましたが、先日無事卒業することができました!!この記事では、最後の関門であった修士論文を、構想から約1年余りをかけてどのように執筆し、そして認められたか、記録しようと思います。ちなみに最終的に、論文はA4で計110ページ以上、引用に使った参考文献は170以上にもなりました。我ながらがんばった・・・
テーマはやっぱり新聞社がどう生き残れるか
2021年の年明けころから、修論のテーマをどうするか具体的に考え始めました。やはり、新聞社出身として、今後の持続可能なビジネスモデルはどういうものか、それをどう実現できるのか、探ろうと決めました。
特に現在の新聞社の苦境は、言わずもがなですが、インターネットの出現によるニュースを巡る全体の環境、いわゆる「エコシステム(生態系)」の変化が招いたもの。また、その変化についていくため、これまでのやり方を壊して自らを変えていく(イノベーション)ことができなかったから・・・。自分自身が新聞社にいた際の経験や、それまでの授業で学んだことを踏まえて、そう議論の方向性を定めました。
担当教官を決める
2021年2月、担当教官を決める手続きが行われました。担当教官に、リサーチ方法や論文執筆のアドバイスをお願いするほか、最終的に修論として認めるかどうかを判断してもらうことになります。研究の方向性や相性が合わなければ、多大なストレスをお互い負うことになります。
学校側から送られてきた教官一覧から、興味関心分野の近い教官を選び、メールを送って自己アピールし、ぜひ一緒に修論を仕上げましょう、と言ってもらわなければなりません。
何人かの先生にメールを送りましたが「今は論文指導はしていない」と断られたり、学校側から「この先生は忙しくてあまり時間を割いてもらえないから避けた方がいい」と言われたり、なかなかスムーズにいかず・・・。ようやく「企業のイノベーション、エコシステム、ダイナミクス、ガバナンス、競争」が関心分野であるという先生にメールを送ったところ、「あなたのトピックは興味深いし、ぜひ指導したい」とのお返事が!よかったー、ほっと一息。
数週間後、この担当教官と、今後のリサーチのスケジュールや、論文の内容についてミーティングを行いました。こちらの拙い英語もしっかり聞いてくださり、参考文献も色々挙げてもらい、とても話が進めやすそうな印象。いい先生でよかった。
プロポーザルで執筆計画を発表
2021年5月に、どのようなテーマをどのようにリサーチして論文を書くか、4000ワードでまとめた「プロポーザル」を提出しなければなりませんでした(当初1000ワードと言われたのが、締め切り約2週間前にいきなり4倍増の4000ワード以上と変更に。このように学校事務局側の段取りの悪さに、その後も何度も振り回されることになります)
先行研究を踏まえた今回の研究の新しさを打ち出す必要もあったため、急ピッチで関連研究(イノベーション、エコシステム、)を概観し、新聞社のような伝統的企業が、エコシステムの根本的な変化を前に、どのようにイノベーションをおこせるかを描いていく、と論文の方向をまとめました。
7月上旬には、提出したプロポーザルをもとに、スライドを作成、10分のプレゼンを行いました。3人の教官から、「なぜ日本ではデジタル化全般が遅れているのか、その背景も含めてみては」「新聞社以外でもデジタル化に成功した会社の事例を調べてみては」などの指摘がありました。これらのコメントを担当教官と共有し、いよいよ本格的にリサーチを始めました。
地道にリサーチ(文献研究、インタビュー)
先行研究に関する論文を、担当教官に紹介してもらったほか、授業(組織行動、テクノロジー、起業等)で扱った論文などを再びざっと読んでいきました。参考文献を最後まとめることがわかっていたので、読むごとに、文献のリストに加えていきました。
今回、私自身がいまも新聞社の社員であるため、内部情報を漏洩する形にならないよう、原則として、所属する新聞社の公表情報を元に書くという方針を決めていました。そのため、インタビューは基本的に、より私自身の理解を深めるために行い、公開された情報(他の媒体に載った情報を含む)以外は、論文にそのまま載せないという方針を取りました。
インタビューは、新聞社のデジタル部門に長く携わり、デジタルサイトの編集長を務めた方、また新聞社OBで、独自のニュースサイトを立ち上げた方、またメディアコンサルタントをしている方に行いました。
インタビューやリサーチを経て、下記のことが明らかになりました。
「世界を見れば、実はいくつもの新聞社のデジタル化成功例がある」
「それらの会社は、自分たちの会社の強みを元に、エコシステム全体の中での位置づけを明確にし、プラットフォームの会社をむしろ利用している」
「日本にも、富士フイルムのように大きく業務転換し成功した会社もある」
これらの点を踏まえ、「ではなぜ、日本の新聞社はそれが達成できないのか」といった視点から書こうと決めました。
さあ執筆
書くための材料をある程度集めたら、いよいよ執筆です。第1稿の締め切りは、12月末。そうは言っても通常の授業は10月いっぱいまであり、チーム課題やレポートなどもこなさなくてはならなかったので、本格的に書き始めたのは11月に入ってからでした。
最低でも、20,000ワード以上の長さを書かなくてはなりません。しかも英語で。そんな長い英文を当然これまで書いたこともなかったので、本当に書き切れるのか、11月、12月はとても不安でした。
書きながら、ちょっとでも論拠が薄いと思えば、また文献や論文を探してチェックし、書いていく。その繰り返しをひたすら続けて、12月中旬に最初の原稿を担当教官に送りました。
担当教官からは、「論文全体の構成や論理構成を表す図を入れた方がいい」「明確に他の成功事例との比較分析を」とのコメントをもらい、それに従って再度修正し、締め切り数日前に第1稿を提出しました!
修正を繰り返し最終発表へ
第1稿を出したあと、担当教官からは「well done!」とのコメントをもらい、ほっと一息、久々にのんびり過ごしていた1~2月・・・その頃は、その後、何人もの教官から怒涛の直しコメントが来るとは想像もしていませんでした。その後、第2稿、第3稿と出すごとに、他の教官からの修正コメントが寄せられていったのです。
まず、第1稿締め切り後のスケジュールは、
2月中 各自で剽窃検査
3月1日 最終稿・中間審査レポート締め切り
3月18日 中間審査口頭試問
3月25日 レビュー稿締め切り
4月5日 ブラインドレビュー稿締め切り
5月15日 修正稿締め切り
5月20日 口頭試問
という流れでした。
中間審査の口頭試問では、3人の教官から、「もっと最新のモデル分析フレームを使った方がいい」「タイトルが内容に合っていない」など論文の根本にかかわる指摘を受けました・・・落ち込みましたが、担当教官からは、「この時期はまだ最終締め切りまで時間があるから、コメントは厳しくなりがち」「完璧な論文などそもそも存在しないのだから、色んな意見が出るのは当然」との言葉が。その通り、と思い、気を取り直して、可能な範囲で修正していきました。(新たな分析フレームワークの章を追加するなど、急ごしらえで直すのは大変でしたが)
また、その後のレビュー稿の段階で、ページ番号の振り方など、体裁についての指摘を受けることに・・・・当初、具体的にどこが間違っているのかの指摘をしてくれなかったので、かなり細かい点まで修正して出し直しました。
さらに、修正稿締め切りまでに、別の教官2人からのOKをもらう必要もありました。彼らからの指摘が、この期に及んで「章立てを変えるべき」「タイトルの修正を」「要約の書き直しを」等々、なかなか根本的なもの・・・。一度の修正ではOKが出ず、担当教官に泣きつきながらアドバイスをもらって、再度修正し、やっと2人の教官からOKをもらいました。
最終口頭試問は、30分の発表と質疑応答で行われました。ここでもまた「レサーチクエスチョンを変えるべき」「章立てを変えるべき」などの指摘が・・・。
「今更そんなこと言われても・・・」と、ちゃんと口頭試問をパスするのか、かなり緊張しましたが、結果的に、教官たちによるミーティングで、無事、私の修論も含めた参加者全員の修論が、通過との連絡!!
この後、最終試問でのコメントも踏まえて少し修正を加え、アーカイブ用の修論を提出。担当教官に認められ、晴れて修論提出のすべてのプロセスを終えました!!
修論執筆を通して改めて感じたのは、新聞社が変わらないのは、ネット出現以前のエコシステムに適応したビジネスモデルから抜け出せていないから。かつてのエコシステムでは強みであったことが、現在ではことごとく弱みに変化してしまっている。更に、それについての適切な現状認識と危機感が欠けており、これを打破するための強いリーダーシップも欠如している、ということでした。
論文の内容自体については、また記事を改めようと思っています。
追記:こんなに複雑な手続きは中国ならでは、とのこと
その後、担当教官と直接上海で面会することができ、この非常に煩雑な修論通過までのプロセスについて話したところ、これは中国ならではだ、と教えてもらいました。(担当教官は、英ケンブリッジ大学で修士・博士を取得)。中国の教育関係の当局が認定した手続きを踏まなくてはならないからだそう・・・。なるほど。
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