[講演録①]「経営」とは「共感の拡大再生産」
40年前に日本で生まれた経営コンサルティング会社
こんばんは、小川達大と申します。
株式会社コーポレイトディレクションという経営コンサルティング会社にいまして、今そこの代表をしてます。去年からなんですけどね。
会社自体は、1986年にできたコンサルティング会社です。いわゆるコンサルティング会社って、アメリカの会社がけっこう多いんですが、うちは日本で生まれた会社です。
私たちは、もともとアメリカ系のコンサルティング会社の東京事務所にいた10人が、「自分たちの会社つくるんだ!」と言って始まった会社です。当時、そのアメリカ系のコンサルティング会社の東京事務所が40人ぐらいだった時に、そのうちの10人が、だから4分の1なんですね、バッと飛び出してつくった会社です。
そのなかで、「日本企業のためには?」とか、あるいは「日本らしい経営の考え方って何だろう?」というのをずっと考えながら40年弱やってきたような、そういう会社です。
私自身は、ベトナムとシンガポールに駐在していたので、日本企業の海外展開の支援もしてきてますし、それ以外、会社、特に上場してる会社がほとんどなんですけれども、そういった会社がより良くなっていくために、いろんな議論を経営者や経営幹部の皆様とさせていただいてる、そういう仕事をしてます。
「これからの資本主義」を考えるために
「会社と経営の原風景」について考える
今回このプレゼンのタイトルで言うと、「経営者の学校」ということで。
私から何か経営について、授業ができるような、特別な意見があるわけでもないんですけれども、こういった仕事をしてる中で見た景色だとか考えたことというのを、少しでもお話させていただければ、1つでも何かのきっかけになればと思ってます。
ちなみに、このプレゼンのタイトルは、僕が作ったやつじゃなくてですね、竹村さんが送られてきたものを、「じゃあこれで。」ってなっただけなので、何て言うかな… 大きなテーマで喋れる人間でもないんですけど(笑)。
もともとこちらから「こんなふうな構成で考えています。」ってお送りした時の仮タイトルは、「なぜ私はWORDSがやってることを信じてるのか?」でした。
私はすごくいい活動をされてるなと思っているので、大事だなと思っている理由を話そうと思っています。そして、それは裏表の関係で言うと、企業や経営者が自分の考えや自分の思いを自分の言葉で語ることの大切さを信じてる、ということに繋がるので、そういうふうなお話ができれば、今日集まってる方々の何かきっかけになるのかなと思っています。
このプレゼンでは、大きく言うと3つの塊でお話します。
まず、「会社」や「経営」という言葉について。日々、耳にしますし、そういうふうな言葉が入ってるタイトルの本も、たくさんありますよね。ただ「そもそも会社って何だろうな?」とか、「経営ってどういうことなんだろうな?」とかというのは、なかなか改めて考える機会もないかなと思うので、一番最初に少し考えられたらと思います。
そのうえで、これからどういうふうな世の中になっていくか、これからの世の中で何を大事にしたいか。そんなことで個人的に思ってるところを少しお話をさせていただいて。
そして最後に、経営者の言葉は大事ですよね、というところに繋げていこうと思ってます。
「これからの資本主義」みたいなことで言うと…
僕、今38才なんです。1985年生まれです。阪神タイガースが日本一になった年なので、1つ前の「アレ」があった年ってことですね。まだ40才前後なので、自分のビジネスパーソンとしての人生がそれなりに続いて、かつそれが経営コンサルタントという仕事なんだとすると、これからの世の中・これからの経営ってどう変わっていくのかな?ということについても、ちゃんと考えながら生きていきたいなと思ってるので、そんなふうにして考えていることを少し話したいと思います。
すべての会社は「1人」から始まっている
「経営」って、すごく大きなワードですよね。経営してる人とか経営者とか、そういうのってどういうことをやってるイメージを浮かべますかね?頭の中にいろんな景色が浮かぶかな、と思いますけど。
たとえば大きな会社だとすると、どうですかね、会議室や役員室にいるんですかね。それで、いろんな人と話をしてたり、とかね。そんなことをしてるかもしれないですよね。
ただ原風景ということで言うと、改めて考えるまでもないことですけれども、最初は1人の人から始まってるんですよね、全ての会社が。このWORDSという会社も、最初は1人で始められた。最初はたぶんあれですよね、オフィスないんですよね。自分で1人で始められて、ということですよね。(竹村さん、頷く。)
これはホントに全ての会社がそうで、もちろん仲間で始めるというケースもありますけれども、そういうのも含めて1人で始まってる。どんなに大きな会社でも、どんなに歴史のある会社でも、最初は1人で始まっていて、それはその人が「これをやるんだ!」ということで始まります。その動機は、それが実際にやる活動自体に想いがある人もいれば、何かのビジネスで一発当てて成功したいんだっていう人もいるし、いろんなモチベーションがあると思いますが、いずれにしろその人自身の何かの想いから始まってるわけですね。
だいたいそういうふうな想いを持ってる人って、周りの人からは「いや、それってイマイチなんじゃないの?」とか「いやまぁ、会社にずっといる方が良いんじゃないの?」とか言われるようなアイデアを持ってるんです。それでもどういうわけか、ちょっと普通の人と感覚が違うもんで、そこで一歩踏み出しちゃう人がいる。それが会社の始まりであり、経営のスタート地点になるわけです。
「よっしゃ、何かやろう」ってなると、最初にやっぱり仲間集めをしたり、あとお金がやっぱり必要になりますよね。どういうビジネスだとしてもね。これを集めるということを最初たぶんしますよね。で、「こんなふうなことやりたいんだ!」と仲間集めをして、ビジネスにもよりますけれども自分の貯金から出す人もいれば、ちょっと親に借りてとか、友達からちょっと借りてとか、ありますよね。
そういうふうなことでお金を調達して、それが何らかの商品やサービスになっていく、売り物になるということですね。これが形のあるものであるケースもあれば、形のないサービスであるケースもあると思いますが、いずれにしろ売り物になる。
で、売り物を誰かに売る。今ご覧いただいている絵で言うと、ビルの絵なので企業向けの売り物を想定して描いてますけれども、ビジネスによっては一般の町にいる人たちに向けて売る、ということもありますね。そういうふうなことで売ると。
とすると、その売上が、自分の元に利益となって返ってくる。これが基本的な景色なわけです。これは会社がどんなに大きくなっても、この構造自体はそんなに変わるものではない、ということです。
なので、ちょっとビジネスっぽい言葉をここに当てるとすると、最初に手に入れた、集めた仲間やお金というのは経営資源と呼ばれるものであって、それはいわゆるヒト・モノ・カネ、あと最近だと情報を加えるケースが増えてきてますが、そういったヒト・モノ・カネ・情報という経営資源がありますよね。
で、それがお客さんのほう、顧客と言ったり、それをまとめて捉える場合は市場と言ったりしますけれども、そういう相手に提供していくということです。
それで、そのあいだに、いろんな小っちゃなもの大きなもの、様々な意思決定があるということですね。お店始めるんだとすると、どこにお店を出そうかな?だし、そのお店の中で何を売ろうかな?と。レストランだったら、どういうメニューにしようかな?どういう内装にしようかな?広告どうしようかな?いろんなかたちの意思決定があるわけですね。そういうようなことで企業活動が行われてお客さん、あるいは市場に提供されていくと、いうのが基本的な営みになっています。
それが利益として戻ってくる。それで、利益として戻ってくるので、そのお金をまた元手にして、もっともっとたくさんの商品やサービスを提供することができる。もっとたくさんの人を雇用することができて、もっとたくさんのことができるようになっていく。そうして、ちょっとずつちょっとずつ大きくなっていってるのが、今の何万人いるような会社も含めて、全ての会社の「原風景」なわけなんですね。
「経営」とは「共感の拡大再生産」
このサイクルが、グルグルグルグル回っていくわけです。とすると、いわば拡大再生産のサイクルが回っているわけで、別の言い方をすると、経営者を中心とした、共感してる人の輪を広げていってると、いう言い方ができるのかなと僕は思ってます。つまり「一緒に働いてあげよう」「一緒に働こう」「仲間入りさせてください」と言ってる人が、共感してくれてる人ですよね。あるいは「おたくの商品・サービスっていいね、お金出して買いますよ」って言ってくれてる人も、共感してくれてる人。
こうやって提供する側と買う人がだんだんだんだん増えていって、好循環を起こしていく。これが「経営者を中心とした共感の輪」ということになっていく。経営者が持っているアイディア・コンセプト・想いに対する共感の輪が広がっていく。これが拡大再生産していくのが、いわゆるまぁ「ビジネスが大きくなっていく」ということになるわけです。
でも言われてみれば超当たり前の話なんですけど、ただいろんなビジネス本とか見ると、顧客がいろいろいるので、それをグループ分けして分析しましょうとか、じゃあその市場規模って大きいんですか?とか、それって伸びているんですかね?とか。あるいは、競合ってどこですかね?とか、そういう話になってくる。
たとえばお金回りの話で言うと、いろんな財務諸表があって、そこに売上がや利益があって、これは資産の効率性で言うとどうなんですかね?とか。最近、経済新聞ではPBRが何倍か?など、いろんなアルファベット3文字の指標が出てきますけれども、そういう計算、数字の世界になっていく。
何かそういうものがビジネスであり、そういうものに関する会議をしていくのが、いわゆる経営者のお仕事ということに思いがちですけれども。
でも、もともとで言うと、きわめて手触りのある仲間を集めて、モノを作って、お客さんに渡して、お金をいただく。そのサイクルをグルグル回してるという、ただそれだけと言えばそれだけ、本来はそういうことなんですよね。
ちなみに、さっき言った拡大再生産のサイクルを数字に落としてるのが、いわゆる財務諸表というやつになります。もともと今回このプレゼンテーションの資料を作ったのは、WORDSのインターンにいらっしゃる方がいて、その人向けに話をするということだったので、ひょっとしたら会計の勉強とかされてない方もいるかなと思ったりしたので、こんなの入れてみました。
上のほうがバランスシート、BSというふうに言われるやつで、下のほうがPLと言われるやつですね。てなことで、数字でいろいろな表があるわけです。上場企業であれば、それを公開してるということになります。純資産と書いてあるところが、先ほどの絵で言えば、自分のお金ですね。で、負債と書いてあるのが、人から借りたお金。ということで、自分が持ってるお金と、人から借りたお金というのが、BSの右側に当たるわけです。
それを何らかの機械だとか店舗とか、あるいは作ったものに変換したものが、左側の資産と書いてあるもの。
それを使って売上を立てます。その売上が利益になります。利益が自分の元手のお金に戻ってきます。という、このサイクルをグルグルグルグル回していくのが、さっきの拡大再生産のサイクルということになるんですね。それを数字で表してるのが、こういう財務諸表というやつになる、ということなんです。
なので数字だけ見ると、とても無味乾燥に見えるんですけれども、その裏側にさっき言ったきわめて手触りのある、経営者を中心とした、共感者の輪が広がっていく拡大再生産というものがそこにはある、ということになります。
「会社」の"二面性"
ヒトとしての「会社」、モノとしての「会社」
ここまでが、「経営」って元々はこういう景色でしたよね、という確認ですね。
もう1つ確認したいことで言うと「会社って何だろうな?」ということなんです。これは、最後で参考文献ご紹介しますけれども、岩井克人先生という経済学の先生が仰っていることを基本的には書いています。会社って2つの側面があるよね、ということをここで書いてます。
1つの側面というのは、ヒトとしての「会社」。
現存している日本最古の会社というふうに謳っているのが、金剛組という大阪にある建設会社です。578年にできていて、今も形を変えてですけれども残っている、そういう会社です。お寺の大工の建設会社なので、おそらくたぶん、ある大工が「棟梁としてやっていくんだ!」ということを決めて、職人たちを集め、それがチームになって会社を始めたということなので、俺がやりたいことあるよね、俺たちでやりたいことあるよね、だから一緒にやっていこうよ、というので始まった会社がずっと続いてるわけです。
つまりだとすると、「会社」というのは、人がいて仲間がいて何かをやるという「主体」なんです。何かをやる主語が「会社」なんですね。それがヒトとしての「会社」という側面。実際、その会社が何かの契約の主体になったり、モノを買う主体になったりしますよね。なので、ある意味、ヒトのような存在としての会社というのがある。
一方で株式会社の起源って調べると、だいたいこの東インド会社というのが出てきます。17世紀ぐらい。これはざっくり言うと、ヨーロッパにいるお金持ってる人が、どうやらインドのほうに何かビジネスチャンスがあるらしいということを考える。自分で行くわけじゃなくて、誰か行ってください。あるいは現地に誰かいる人を雇います。その人に投資をするわけですよね。で、投資をして頑張ってもらう。頑張ってもらったリターンというのが、お金の出し手のほうに返ってくると、いうことになります。
だとするとそれって会社と金の出し手ということの関係で言うと、それはモノに対してお金を出してる、というのと一緒なわけなんですね。会社という箱に対してお金を出してるということになるので、それは売り買いされる対象としてのモノになるわけなんです。お金持ちの側からすると、さまざまな投資のチャンスがある中で、その会社を選んで投資をしているということなので、これは「主体」のほうではなくて「対象」のほうになってるんですよね。なので今って上場してる会社については、ガバナンスみたいな話が出てきたり、株主と経営者の緊張関係みたいな話が出てきたり、いうことになります。
ただこの株式会社に関しては、有限責任という要素があります。要は、株に出資した人というのは、自分が出資したお金がゼロになっちゃうのが一番最悪のパターンで、それ以上の責任って負わされないんですよね。小さな会社であれば、経営者が個人保証してたりするので、自分が出資した以上に損や責任を被る可能性があるんですけれども、だんだん仕組み化されていくと、出資をした人というのは自分が出資したのがゼロになるよりも責任を負われないということなので、それが有限責任ということなんです。
なので有限なんだとすると、これぐらいのリスクだったらちょっと出してもいいかな、と思う人が増えるので、これはお金の出し手が増えていくんですね。逆に企業側からすると、お金を出してくれる相手が増えるので、リスクを取りやすくなるということ。これ1つの大きな発明なんです。
もしこれがヒトとしての「会社」だけだとすると、そこのリスクってとても無限に広がっていくんですけれども、そこをある種モノとしての「会社」、有限責任ですよね、というのを持ち込むことによって、ビジネスが大きく広がっていったと、いうまあとてもそういう大きな、ポジティブな影響があった発明ではあるんです。
ただ、その「会社」が「モノである」というのと「ヒトである」というのは、けっこう緊張関係があります。最近よく言われていますが、会社って投資や投機の対象になってるんじゃないかなとか、それによってマネーゲームになってるんじゃないかなとか、言われたりしますけれども、それって「モノとしての会社」の側面に、とても引っ張られているということなんです。ただこれ両面ありますよね、ということであって、それ自体が会社のとてもユニークな存在である理由なんです。
このヒトとしての「会社」という側面は、さっきの原風景で言ったところの、何かやりたい人がいて仲間が集まってきて、共感する人が増えていくというところのサイクルに、どちらかと言うと景色として近いんですね。
なので、ここから先の話は、モノとしての「会社」という側面に、ひょっとしたら僕たちは今、引っ張られ過ぎている社会なのかもしれない。ヒトとしての側面の「会社」というものに対して、改めて目を向ける必要があるのだろう。そういうふうな文脈の話ができればと思うわけです。
(②に続きます)
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