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成熟ニッポンと、左脳思考・右脳思考


もがくニッポン

 日本経済の「失われた10年」は「20年」となり、いよいよ「30年」になろうとしています。物心ついた時には既に日本経済が「失われていた」というような世代、いわば「失われっぱなし世代」の構成比は増していくばかりです。「失われっぱなし世代」が新入社員として参加してくるようになり、会社によってはミドル層がそういう世代になってきました。

 そういった世代にとっては、上司から「頑張れば成果が出る、給料が増える」と言われたところで、なんだか別の世界の話をされているようで、どうにもピンと来ないものです。働く意味や生きる意味を測るモノサシ自体を自分らしく見つけることが必要になり、それはそれで非常に苦しいことになります。働く意味を見出すことができなければ、企業という存在は「我々の権利と自由を奪う怪物(新たなるリバイアサン!?)」ということになり、その怪物から我が身を守ることばかりに苦心することになってしまいます。

 働く喜びを実感させてくれるような「何か!Something WOW!」が渇望されているように思います。



 また、「失われた20年」は日本企業の経営を取り巻く環境を厳しいものにしました。人口減少社会という日本では市場のパイ全体が成長するという波に乗って企業を大きくするということが難しいのだとすると、

① 競合企業から大きくシェアを奪う
② 新しい市場(国)に挑戦する
③ 新しい事業を立ち上げる
ということが求められます。


 ところが、どれも茨の道です。互いに切磋琢磨している競合企業からシェアを奪うというのも一筋縄ではいきません。海外展開と言ったって、日本とは顧客のニーズは違いますし、現地企業と競争しなければなりませんし、現地の従業員や取引先とうまくやっていくのも難しいことです。新規事業にしたって、世間がアッと驚くような事業のアイデアが簡単に生まれるはずもありません。

 企業もまた、厳しい状況を鮮やかに打破してくれるような「何か!Something WOW!」を渇望しているように思います。


論理思考への驚きと閉塞感

 論理的・科学的に経営をするという考え方は、比較的新しい枠組みです。もちろん、遥か昔から人間は、自分の頭で考えながら行動してきたわけですが、可能な限り事実を集め、それらを合理的に組み合わせて検証可能・説明可能な論理へと総合したうえで、最も成功確率が高そうな意志決定をする、というのは比較的新しい考え方です。

 アメリカの製造現場にストップウォッチが持ち込まれ、いわゆる科学的経営という考え方が広がっていったのが1960年代あたりのことです。日本にもそういった考え方が輸入され、ある種の驚きをもって受け入れられたのが1970年代のころでしょう。経験に基づいた勘や人脈を重視されがちな企業にとっては、見落としていたチャンスを捉えることに繋がったでしょうし、ムダを継続的に減らすことにも貢献したでしょう。つまり、科学的経営の登場が与えた驚きと貢献は、それまでの思考法では見えていなかった角度から企業活動を見たことに起因しているのだと思います。

 その普及(布教?)には、経営コンサルタントも一役買いました。「科学的にビジネスをするのが世の中の常識ですよ。そちらの方が普通ですよ、優れていますよ。」と。そして、ロジカルシンキングやMBA的なノウハウは、ビジネスパーソンの一般教養となっていきました。そうなると、科学的経営という主張は、何ら驚きを与えるものではなくなってくるでしょう。科学的経営の追求は、むしろ、重箱の隅をつくような、閉塞感に繋がるでしょう。

 ただし、科学的経営の意義は決して揺るがないことは改めて述べておきたいところです。また、企業や個人が科学的思考のレベルを上げる余地が依然として大いにあることも指摘しておきたいところではあります。スポーツでも職人でも、基礎的な技術は極めて大切なことでしょうし、突き詰めれば、その基礎の差が勝負を分けるものだと思います。



経営戦略論への驚きと閉塞感

 もう1つ、「戦略」という言葉についても考えておきたいものです。もともとは戦争を語るときの言葉でしたが、ビジネスの世界でも使われるようになりました。いまや、事業戦略、マーケティング戦略、海外戦略、財務戦略、買収交渉戦略、社内で稟議を通す戦略、昇給を獲得するための戦略...と、会社の中には、様々な「戦略」があります。「戦略的」というのは「最終的な目的に向けてアレコレと手段を考えて決める」ということですから、会社の中に様々な「戦略」あるのは当然のことです。

 さて、経営戦略論もまた、企業に驚きをもって受け入れられました。それは、中長期的なゴールを設定し、そこに向かっていくための手段をアレコレと考えて決めるための枠組みです。特に、論理的・科学的に考えるという姿勢と馴染みの良いものです。

 ところが、変化が激しく、「何か!Something WOW!」が求められている状況においては、経営戦略論の枠組みが、視野や思考を狭めてしまいブレイクスルーを妨げてしまうことが増えてきました。

 もっとも、本質的には、経営戦略論の枠組み自体の有効性は揺らがないのだと思っていますが、これからの時代に合ったアップデートは必要です。



デザイン思考という”光”

 「イノベーション」「デザイン思考」といったものに対する関心が高まっているのは、上記のような「何か!Something WOW!」に対する渇望が背景にあるのでしょう。


 デザイン思考や関連する手法・ツールは、職場の雰囲気も変える”光”にも見えることでしょう。

 私は、デザイン思考と言うよりは人間中心の着想法と言った方が本質的だと思っています。五感を全開にして情報を身体のなかに取り込み、自分という人間のフィルターを通してアウトプットするということです。

 イノベーティブなアイデアを着想するためのデザイン思考は1980年代から蓄積されてきた知恵ですが、論理的な思考だけに頼ることへの近年の閉塞感から、あらためて注目が集まっています。



思考をスイッチする脳梁

 そうだとすると、どのシチュエーションで・どの思考を使うか、という判断を正しくする力をどうやって鍛えるのか、という問いにぶつかります。“左脳と右脳"というメタファーを引き継ぐならば、左脳と右脳を繋ぐ”脳梁”を鍛えようということになりましょうか。


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