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蛇の正体とは/原理講論研究(20)
聖書は、エバを誘惑して罪を犯させたのは蛇であったと伝えています。では、この蛇の正体は、いったい何者だったのでしょうか。創世記3章1節から7節までの箇所を朗読します。
主なる神が造られた野の生き物のうちで、最も賢いのは蛇であった。蛇は女に言った。 「園のどの木からも食べてはいけない、などと神は言われたのか。」 女は蛇に答えた。 「わたしたちは園の木の果実を食べてもよいのです。 でも、園の中央に生えている木の果実だけは、食べてはいけない、触れてもいけない、死んではいけないから、と神様はおっしゃいました。」 蛇は女に言った。 「決して死ぬことはない。 それを食べると、目が開け、神のように善悪を知るものとなることを神はご存じなのだ。」 女が見ると、その木はいかにもおいしそうで、目を引き付け、賢くなるように唆していた。女は実を取って食べ、一緒にいた男にも渡したので、彼も食べた。 二人の目は開け、自分たちが裸であることを知り、二人はいちじくの葉をつづり合わせ、腰を覆うものとした。
ここに書いてあるように、蛇がエバを誘惑して、エバに罪を犯させました。原理講論は、この蛇の正体に注目しています。原理講論の著者はこの蛇について、次のように述べています。
「聖書に記録されている蛇は、人間と会話を交わすことができたと記されている。そして、霊的な人間を堕落させたという事実を見れば、これもまた、霊的な存在でなくてはならないはずである。しかも、この蛇が人間に善悪の実を食べさせまい、と計らわれた神の意図を知っていたという事実から見れば、それはなお一層霊的存在でなければならないということになるのである。」(p. 98)
ここで原理講論の著者は、この蛇が単なる蛇ではなく、「霊的な存在」であるという点を強調しています。なぜなら、この蛇は、人間と会話できるだけでなく、神の目的をも理解していたからです。では原理講論において、「霊的な存在」とは、いったい何を意味しているのでしょうか。おそらく、ここでは、霊界に行くことのできる存在という意味で使われていると思われます。
原理講論の著者は、ヨハネの黙示録12章9節を引用しています。そこには次のように書いてあります。
この巨大な竜、年を経た蛇、悪魔とかサタンとか呼ばれるもの、全人類を惑わす者は、投げ落とされた。地上に投げ落とされたのである。その使いたちも、もろともに投げ落とされた。
ここで、新共同訳聖書では「年を経た蛇」と訳されていますが、原理講論では「古い蛇」という翻訳が採用されています。この古い蛇こそが、エデンの園においてエバを誘惑した蛇であると、原理講論の著者は断定しています。この蛇が天から地上に投げ落とされたと書いてあるところから、この蛇が霊的な存在であったと原理講論は結論づけています。
この霊的な存在である蛇は、いったいいつから存在しているのでしょうか。この問題について、原理講論の著者は次のように議論しています。
「もし、この蛇が創世以前から神と対立する目的をもって存在していたとすれば、被造世界において展開されている善悪の闘争も不可避なものとして永続するほかはない。したがって、神の復帰摂理は、結局無為に帰してしまわざるを得ないであろうし、あらゆる存在が神お一人によって創造されたという一元論も崩壊してしまうのである。ゆえに、蛇として比喩されているこの霊的存在は、元来善を目的として創造されたある存在が、堕落してサタンとなったものであるとみなさなければならないのである。」(p. 98以下)
このように述べて、原理講論の著者は、この霊的な存在である蛇というのは、堕落してサタンとなったものであると結論づけています。著者は続けて次のように述べています。
「では、神から創造された霊的存在であって、人間と会話することもでき、神の目的を知ることもでき、また、その所在は天にあり、そして、それがもし堕落して悪の存在に転落した場合には、時間と空間を超越して人間の心霊を支配し得る能力をもつ、そのような条件を備えた存在とは、いったい何なのであろうか。こう考えてみると天使以外にこのような条件を具備した存在はないので、まずこの蛇は、天使を比喩したものであると見ることができるのである。」(p. 99)
つまり、エデンの園でエバを誘惑した蛇とは、堕落してサタンとなった天使のことだったのです。
天使が堕落してサタンになることについては、ペトロの手紙第二2章4節に次のように書いてあります。
神は、罪を犯した天使たちを容赦せず、暗闇という縄で縛って地獄に引き渡し、裁きのために閉じ込められました。
この御言葉は、神が堕落した天使を地獄に閉じ込められたと証言しています。原理講論はこの御言葉を根拠にして、「天使こそが人間を誘惑して罪を犯させたその蛇の正体である」(p. 99)と断定しています。
以上、エデンの園の蛇の正体に関する原理講論の議論を見てきました。実はカトリック教会の注解書も、蛇は悪魔であると断定しています。しかも蛇が性的な事柄の象徴であるということも、カトリックの注解書は指摘しています。いずれにしても、原理講論の議論は非常によく洗練されていて勉強になると思います。次回は、天使と人間が罪を犯して堕落したことについての議論を読んでいきたいと思います。
🟦 世界平和統一家庭連合『原理講論』光言社、1996年。
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