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1988年まで『キリスト教年鑑』に統一教会が記載されていた

統一教会はキリスト教のひとつの教派として認識されていました。

キリスト新聞社は1988年まで、同社が毎年発行する『キリスト教年鑑』に統一教会に関する情報を記載していました。このことは、少なくとも当時までは、統一教会を非難する人が既存の教会の中のごく一部の者たちに限定されていたことを示唆しています。

1989年3月25日のキリスト新聞の座談会形式の記事によると、同新聞社が毎年発行する『キリスト教年鑑』に統一教会が記載されていることについて、

編集部は

〈編集部としては、キリスト教界の情報源として資料を提供するという立場から、統一協会を記載し続けてきたわけです。といいますのは、『キリスト教年鑑』は、「これがキリスト教会で、あれはキリスト教会ではない」というような法人の教会性を否定したり認知したりする性格のものではなく、「キリスト教会である」と称している法人を、可能な限り調査収集して記載し、情報源としてご利用いただきたいというのが本来の趣旨であるわけです。〉

と表明しています。

つまり、当時のキリスト新聞の編集部は、キリスト教会かキリスト教会でないかを判断することに対して、非常に慎重な姿勢を取っていました。

また、日本キリスト教協議会(NCC)、日本福音連盟、日本カトリック教会などの団体から、「統一協会はキリスト教会ではない」という趣旨の声明が相次いで発表されたことについて、

編集部は

〈NCCの立場とは異るとか、福音連盟の信仰とは違うという言い方であれば、なるほどと思うわけですけれども、「キリスト教ではない」ということになると多少ひっかかりみたいものを感じた〉

という意見を表明しながら、NCCや日本福音連盟、日本カトリック教会などの団体が「統一協会はキリスト教会ではない」と表明していることについて、「少し僭越な表現ではないか」という感想を述べています。

さらに編集部は、既存の教会から統一教会を敵と見る意見が寄せられていることに対し、「統一協会及びその当事者、会員の青年たちは、私どもの考えですと、やはり神の前に被造物であるわけです」と述べて、統一教会の信者の人間の尊厳に言及しています。

このような編集部の判断は非常に重要な視点を与えてくれています。何が正統であるかを決めることに対して、新聞社も宗教団体も慎重に節度をわきまえる必要があります。既存の教会が敵視する宗教団体の信者もまた、神の前に被造物であることに変わりありません。信者ひとりひとりの人格は尊重されなければなりません。

残念ながら、編集部は既存の教会の意見に押されて、1989年版から統一教会の記載をやめてしまいました。これにより、旧統一教会・家庭連合の活動が、かえって見えにくくなりました。『キリスト教年鑑』の歴史資料としての価値も減少することになりました。

よろしかったら、サポートをお願いします。今後の活動に生かしていきたいと思います。