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神との関係の断絶はどのようにして回復されるのか/原理講論研究(6)

人間と神の関係を、地球と太陽の関係にたとえてみましょう。地球と太陽は互いに重力によって引き合っています。太陽の周りを回転する地球は、太陽からの求心力を受けると同時に、その求心力とは正反対の向きに遠心力を受けています。この求心力と遠心力が釣り合っているので、地球は太陽を中心とした回転運動を続けることができます。しかし、ある時、この求心力が働かなくなってしまったとしたら、地球は回転運動の軌道から外れて、ひたすら太陽から遠ざかっていくことになります。地球と太陽との間の相互作用が切断されてしまう時、地球は太陽からどんどん遠ざかっていくことになります。

人間と神との間にも相互作用が働いています。『原理講論』はこれを授受作用と呼んでいます。人間と神との間で授受作用が働かなくなってしまったとしたら、人間は神からどんどん遠ざかっていく存在となります。聖書は、神との関係が切断されてしまうことを「堕落」と呼びます。『原理講論』も、神との関係の断絶を「堕落」と呼んでいます。特に『原理講論』では、「堕落人間」という用語が使われています。これは、神との関係が断絶して、神との間で授受作用が働かなくなってしまった人間のことです。

原理講論は、堕落という専門用語を次のように説明しています。

「堕落というのは、人間と神との授受の関係が切れることによって一体となれず、サタンと授受の関係を結び、それと一体となったことを意味する。イエスは神と完全な授受の関係を結んで一体となられた、ただ一人のひとり子として来られたお方である。したがって、堕落した人間が、イエスと完全なる授受の関係を結んで一体となれば、創造本性を復帰して、神と授受作用をすることによって、神と一体となることができるのである。それゆえに、イエスは堕落人間の仲保となられると同時に、道であり、真理であり、また命でもあるのである。」(p. 53)

ここで原理講論は、神との関係が切れてしまった人間が、サタンと授受の関係を結んだと説明しています。既成教会のキリスト教徒の間では、堕落とは、神との関係から切断されてしまうことと説明されますが、サタンと関係を結んだというところまで踏み込んで説明することは、ほとんどないと思います。堕落した人間がサタンと関係を結んで一体となっとことを強調する点は、原理講論の特徴のひとつだと言えると思います。

しかし、ここで原理講論が救いの道として示していることは、既成のキリスト教にも見られるものです。原理講論が説明している通り、堕落した人間は、イエスが仲保となられることによって、神との授受作用の関係を回復することができます。「仲保」とは、間を取り持つことです。神と人間の間に入って、関係を回復することを、キリスト教徒は「仲保」と呼びます。原理講論の用語で説明すれば、イエスは神との完全な授受の関係を結んで一体となられたお方であり、ただ一人のひとり子として来られたお方です。堕落した人間が、このイエスと完全な授受の関係を結んで一体となれば、本来の神との関係を回復させることができるのです。だから、イエスは道であり、真理であり、命であるお方なのです。

さらに原理講論は、神と人間の縦の関係と、人間同士の横の関係を区別して、次のように述べています。

「キリスト教は、愛と犠牲により、イエスを中心として、人間同士がお互いに横的な授受の回路を回復させることによって、神との縦的な授受の回路を復帰させようとする愛の宗教である。」(p. 53)

キリスト教は愛の宗教であるとは、よく言われることです。ここで原理講論は、愛の宗教と言われるキリスト教の目的を明らかにしています。キリスト教はまず、イエスを中心として、人間同士の横の関係を回復させ、この横の関係を回復させることによって、神との縦の関係を回復させることを目的としているというのです。この説明は非常に重要です。

何よりもまず、イエスとの授受の関係を結ぶことが大切であり、そのことによって人間同士の横の関係を回復することができ、そのことによって、神との縦の関係を回復することができるのです。これが救いの道です。

以上、神との関係が断絶した人間が、神との関係を修復する道を見てきました。このような議論は、決してキリスト教から外れているわけではありません。むしろ、ほとんどのキリスト教徒は、このような救いの道の説明を受け入れることができるはずです。

🟦世界平和統一家庭連合『原理講論』光言社、1996年。

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岩本龍弘
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