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日本基督教団荻窪教会・小海基牧師が山上徹也容疑者とボンヘッファーとの対比を示唆

今年3月に発行された「富坂キリスト教センター紀要第14号」に中で、小海基牧師は「カルト問題から考えるキリスト教社会倫理の課題と方法について/研究会趣旨説明」というタイトルの文書を発表しました。

「2022年7月8日 安倍晋三元首相が遊説先の奈良の大和西大寺駅北口で、山上徹也容疑者(41歳)の手製の銃に撃たれて死亡して以来」(p.213)という書き出しで始まるこの文書において、小海牧師はヒトラー暗殺計画に関与した罪で投獄され処刑されたディートリッヒ・ボンヘッファー牧師の「神の前で、神と共に、われわれは神なしに生きる」という言葉を引用しながら、「宗教の政治化」と「政治の宗教化」の問題を整理し直す必要があると主張します。具体的な事例を列挙した後で、小海牧師は次のように述べています。

〈世の小さな存在の側に立って、圧倒的権力を暴力的に振るう側に身を挺して盾となるとか、それこそボンヘッファーが担ったような、ひとりの「同時代人」として「ヒトラー暗殺計画」に参与するという事は、宗教の「政治化」とは区別しなければならないでしょう。この辺の整理こそ、宗教カルト2世によって引き起こされた今回の事件の中でなされていかなかればならないと思います。〉(p.216)

つまり、小海牧師の議論によると、「宗教の政治化」と「政治の宗教化」の問題は批判されなければならないが、ボンヘッファー牧師のヒトラー暗殺計画と山上徹也容疑者の安倍晋三元首相襲撃事件は、それらの批判されるべき問題には含まれないというのです。

このような仕方でボンヘッファー牧師と山上徹也容疑者を同列に扱うことは、ボンヘッファー牧師の名誉を著しく傷つけると同時に、山上徹也容疑者によるテロを正当化する主張であり、断じて容認され得るものではありません。小海牧師のこの主張はまた、安倍晋三元首相の名誉をも甚だしく傷つけています。さらに言えば、山上徹也容疑者を「宗教カルト2世」と呼ぶことは、家庭連合(旧統一教会)の信者たちに対する誤解や偏見を助長しています。

ちなみに、この文書の中で小海牧師は、旧統一教会を反ユダヤ主義の団体として認識していることを表明していますが、この認識は正確ではありません。1976年12月に文鮮明師は「ユダヤ人とイスラエルに関する声明」[1] を発表し、その声明の中で反ユダヤ主義を明確に非難しています。むしろ反ユダヤ主義を容認してきた日本基督教団こそが、反ユダヤ主義の団体として非難されるべきでしょう。

ところで、米本和広氏によると、小海牧師は「黒鳥・清水牧師を支える会」の事務局を担当していました。拉致監禁により強制棄教させられた家庭連合の元信者の長田典子さんは、裁判に提出する陳述書を作成するよう依頼されていました。長田さんは「清水牧師に問題があったと思う。神の言葉を伝えるべき牧師にあるまじき言動があった」と「ありのまま」を書きました。小海牧師は「今回の訴訟の証拠としてふさわしくない点があるので一部を削除・訂正して欲しい」と長田に伝えました。「長田は、事実を曲げることはできないと突っぱねた」と米本和広氏は述べています。[2]

小海牧師の不当な要求を拒絶した長田典子さんの行動は、称賛されるべきであると思います。


[1] 文鮮明先生の「ユダヤ人とイスラエルに関する声明」について|岩本龍弘 @tatsuhiro_iwamo #note
https://note.com/tatsuhiroiwamoto/n/n3fc49412d16d

[2]米本和広『我らの不快な隣人/統一教会から「救出」されたある女性信者の悲劇』情報センター出版局、2008年、p.145。

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