神の三大祝福とは何か/原理講論研究(8)
三大祝福とは、原理講論の独特の用語です。この用語が何を意味するかを、原理講論を読みながら明らかにしたいと思います。
神が世界と人間をお造りになったのは、それらを見て喜ぶためでした。創世記1章3節から5節までの箇所を読んでみたいと思います。
神は言われた。 「光あれ。」 こうして、光があった。神は光を見て、良しとされた。神は光と闇を分け、光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。第一の日である。
神が最初に創造されたのは、光でした。神は光を見て、良しとされました。これが、天地創造の物語の第一の日の出来事です。創世記では、天地創造は六日間で完成されたと言われています。一日という概念は、地球が一回自転することで決まります。神が天地万物の創造を始められた時、まだ太陽も地球も存在していませんでした。天地創造の物語において、第一の日というのは、天地創造の第一の段階ということであり、六日間というのは、六つの段階で天地万物が創造されたことを意味しています。
神は六つの段階のそれぞれの終わりに、御自分がお造りになったものを見て、良しとされました。このことは、神が宇宙の万物と人間を善なるものとしてお造りになったのであり、それらをみ見て喜ぶためにお造りなったということを意味しています。
「神は万物世界を創造されたのち、最後に御自分の性相と形状のとおりに、喜怒哀楽の感性を持つ人間を創造され、それを見て楽しもうとされた。」(p. 64)と原理講論の著書は記しています。
このように、喜怒哀楽の感情を強調するところが、原理講論の特徴のひとつです。
確かに、人間以外の動物は、喜怒哀楽の感情を表現することがほとんどありません。喜怒哀楽の感情は、人間に与えられた神の特徴であると言えるでしょう。では、神はどのような時に喜ばれるのでしょうか。それは、人間が神の国をつくって喜ぶ時です。人間が神の国をつくって喜ぶ時、神もそれをご覧になって、一層喜ばれる、と原理講論は教えています。
創世記1章28節には、次のような御言葉が記されています。
神は彼らを祝福して言われた。 「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ。」
原理講論はこの御言葉を、神の三大祝福と呼んでいます。この祝福は第一祝福から第三祝福まで、三つに分類されています。
①神の第一祝福
第一祝福は個人に関するものです。「神の第一祝福は個性を完成することにある。人間が個性を完成しようとすれば、神の二性性相の対象として分立された心と体とが、授受作用によって、合性一体化して、それ自体において、神を中心として個体的な四位基台をつくらなければならない。神を中心として心と体とが創造本然の四位基台を完成した人間は、神の宮となって(コリントⅠ三・16)、神と一体となるので(ヨハネ一四・20)、神性をもつようになり、神の心情を体恤することによって神のみ旨を知り、そのみ旨に従って生活するようになる。」(p. 66)
ここで、「体恤する」という言葉が使われています。これは「思いやる」ことを意味する言葉です。日常生活ではほとんど使われませんが、原理講論ではよく出てきます。家庭連合の方々は、神の心情を思いやることを大切にしています。神を中心として、心と体をひとつにして、四位基台を完成した人間は、神の喜怒哀楽の感情を自分のものとして実感するようになるので、神が悲しむ犯罪行為をすることができなくなるのです。
②神の第二祝福
神の第二祝福を実現するためには、まず第一祝福で個性を完成したアダムとエバが夫婦となり、一体となって子女を産み、神を中心とした四位基台をつくらなければならない、と原理講論では教えられています。神を中心として四位基台をつくった家庭や社会は、個性を完成したひとりの人間に似たものになります。このような家庭や社会は、人間にとっても神にとっても喜びの対象となります。
③神の第三祝福
原理講論を読んでみましょう。「神の第三祝福は、万物世界に対する人間の主管性の完成を意味する。人間が祝福を成就するためには、神の形象的実体対象である人間と、その象徴的実体対象である万物世界とが、愛と美を授け受けして合性一体化することにより、神を中心とする主管的な四位基台が完成されなければならない。」(p. 68)
ここで、主管性とは、支配することや管理することを意味しています。創世記1章28節によると、人間は万物世界を管理することを神から託されています。第三祝福を実現するためには、人間は万物世界の管理を完成させなければなりません。では、どのようにすれば、人間は万物世界の管理を完成させることができるのでしょうか。それは、人間と万物世界が互いに愛と美を与え合うことによって完成させることができます。人間と万物世界は授受作用によって一体となり、被造世界は四位基台の中で神の第三対象となります。この四位基台を完成させれば、神の第三祝福は実現します。
以上のように、神の三大祝福という原理講論に独特の概念を見てきました。既成教会のキリスト教徒は、個人の魂の救いだけを強調する傾向にありますが、原理講論はそうではありません。原理講論は個人の救いだけでなく、家庭や社会の救い、さらには被造世界全体の救いを強調します。これは、創世記1章28節の神の委託に対して誠実であることの結果であり、神の御言葉に忠実な人にとっては当然の帰結であると言えるでしょう。
🟦世界平和統一家庭連合『原理講論』光言社、1996年。