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良心の呵責はどこから来るのか/〈万有原力〉と〈授受作用〉とは何か/原理講論研究(5)

私は神学を学び始める前に、物理学を学んでいました。素粒子物理学では、宇宙には以下の4種類の基本的な力が作用していると考えられています。
 ①強い相互作用
 ②弱い相互作用
 ③電磁気力
 ④重力

①の強い相互作用は、陽子や中性子を結合して原子核を形成する力や、クォークを結合して陽子や中性子を形成する力のことを言います。②の弱い相互作用は、中性子が陽子に変化するベータ崩壊のような原子核内部の現象に関係する力です。

このような素粒子物理学の成果に基づいて、『原理講論』の著者は、「万有原力」と「授受作用」という新しい概念を導入しています。

「神はあらゆる存在の創造主として、時間と空間を超越して、永遠に自存(じそん)する絶対者である。したがって、神がこのような存在としておられるための根本的な力も、永遠に自存する絶対的なものであり、同時にこれはまた、被造物が存在するためのすべての力を発生せしめる力の根本でもある。このようなすべての力の根本にある力を、我々は万有原力と呼ぶ。」(p. 50)

ここで、「自存する」という言葉は、キリスト教神学でも使われる用語です。神は他者に頼らなくても自力で永遠に存在することのできる御方であるという意味です。神があらゆる存在の創造主として、時間と空間を超越して、永遠に自存する絶対者であるという考え方には、ほとんどの既成教会のキリスト教徒も同意するはずです。『原理講論』の独創的なところは、万有原力という概念を想定した点です。これは、被造物が存在するためのすべての力の根本であると同時に、神が永遠に自存する絶対者であられるための根本的な力でもあると定義されています。

「授受作用」という用語は、相互作用のことを言います。万有原力は神と人間の間に相互関係を形成し、授受を行います。この授受作用に基づいて、人間同士の間でも授受作用が行われます。

『原理講論』の著者は、授受作用の議論の中で、良心の力に言及して、次のように述べています。

「古今東西を問わず、いくら悪い人間であっても、正しいことのために生きようとするその良心の力だけは、はっきりとその内部で作用している。このような力は、だれも遮ることができないものであって、自分でも知らない間に強力な作用をなすものであるから、悪を行うときには、直ちに良心の呵責を受けるようになるのである。もしも、堕落人間にこのような良心の作用がないとすれば、神の復帰摂理は不可能である。では、このような良心作用の力はいかにして生じるのであろうか。あらゆる力が授受作用によってのみ生じることができるのだとすれば、良心もやはり独自的にその作用の力を起こすことはできない。すなわち、良心もまた、ある主体に対する対象として立ち、その主体と相対基準を造成して授受作用をするからこそ、その力が発揮されるのである。我々は、この良心の主体を神と呼ぶのである。」(p. 52)

ここで、堕落人間とは、神との関係が断ち切られてしまった人間のことを言います。神との授受関係を持つことのできない人は、良心の力が働かないので、良心の呵責を受けることもありません。つまり、神との関係が断絶してしまった人間は、何か悪いことをしても、心に痛みを覚えることがないのです。

では、神との関係が断絶してしまった人間は、どのようにして救われるのでしょうか。次回以降で、その話をしたいと思います。

🟦世界平和統一家庭連合『原理講論』光言社、1996年。

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岩本龍弘
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