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なぜ神はアダムとエバの堕落に干渉し給わなかったのか/原理講論研究(37)

原理講論の著者は第二章「堕落論」の第六節「神が人間始祖の堕落行為を干渉し給わなかった理由」の冒頭で、次のように述べています。

「神は全知全能であられるので人間始祖の堕落行為を知られなかったはずがない。また彼らが堕落行為を行わないように、それを防ぐ能力がなかったわけでもない。それでは、神はなぜ、彼らの堕落行為を知っておられながら、それを干渉し防ぎ給わなかったのであろうか。」(p. 129)

この難問を解くために、原理講論の著者は、「神の創造性」という概念を導入しています。神の創造性というのは、神御自身が人間を主管し、人間が万物世界を主管するように神が人間と万物世界を創造されたということです。

「人間が神の創造性に似るためには、人間自身がその責任分担を遂行しながら成長し、完成しなければならない。」(p. 129)と著者は述べています。人間が万物世界を主管することができるようになるためには、人間は成長しなければなりません。この成長期間には、神は人間に干渉することができません。なぜなら、成長期間にある人間に神が干渉してしまうと、人間の成長が止まってしまったり、妨げられたりしてしまうからです。原理講論はこれを創造原理と呼んでいます。神は絶対者であり、完全無欠なる創造主であられます。それゆえに、神が定められた創造原理も、絶対的であり、完全無欠でなければなりません。神は創造原理の絶対性と完全無欠性を守るために、成長期間の人間の堕落行為に対して干渉なさらなかったのです。

神がアダムとエバの堕落行為に対して干渉し給わなかった第一の理由は、神の創造原理の絶対性と完全無欠性を守るためでありました。

原理講論の著者は、第二の理由として、神のみが創造主であらせられることを挙げています。たとえば、犯罪行為は神の御言葉に反する行動です。この行動には、神の創造の価値は与えられていません。ところが、この犯罪行為に神が介入してしまうと、この行為が神の御言葉に適ったものとして認定されてしまいます。この点について、原理講論の著者は次のように述べています。

「もし神が、人間始祖の堕落行為に対して干渉されるとすれば、その堕落行為にも創造の価値が賦与されることになり、原理的なものとして認定せざるを得なくなるのである。もしそうなれば、神は犯罪行為をも原理的なものとして認定されるという、もう一つの新しい原理を立てる結果をもたらすのである。このような結果をもたらすことは、どこまでもサタンが存在するためであり、そうなれば、サタンもまた、一つの新しい原理を創造したということになり、創造主の立場に立つことになる。したがって、独り神のみ創造主であらせられるためには、彼らの堕落行為に干渉することができなかったのである。」(p. 130)

万物世界を創造し、人間を創造した神は、ただ独りで万物世界と人間をお造りになりました。もし神がアダムとエバの堕落行為に対して干渉してしまうと、サタンもまた創造主の立場に立つことになってしまいます。地獄は、神が創造なさったものではありませんが、神が人類の祖先の堕落に対して干渉してしまうと、神とサタンが共同で地獄を創造したことになってしまいます。そうならないために、神は人類の祖先の堕落行為に対して干渉なさらなかったのです。

神が人類の祖先の堕落行為に対して干渉なさらなかった第三の理由は、人間を万物の主管位に立たせるためでした。ここで「主管位」というのは、主管する位という意味です。原理講論は、創世記1章28節を繰り返し引用しています。この御言葉によって、神は人間に向かって、万物を主管するようお命じになりました。主管とは、統治すること、あるいは管理することを意味する独特の用語です。人間が万物を主管することについて、原理講論は次のように説明しています。

「人間が神のみ言のとおりに万物を主管しようとすれば、万物を同等な立場においてはそれをなすことができない。ゆえに、人間はそれを主管し得るある資格を持たなければならないのである。」(p. 131)

この資格を得させるために、神は成長期間を設定なさったのです。この成長期間を経て初めて、人間は万物を治めるようになります。神が、人類の祖先の堕落行為に対して干渉してしまうと、この成長期間が中断されることになり、人間は万物を治める資格を失ってしまいます。だから、神は人類の祖先の堕落行為に対して干渉なさらなかったのです。

🟦 世界平和統一家庭連合『原理講論』光言社、1994年。

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岩本龍弘
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