見出し画像

創造の過程における成長期間とは/原理講論研究(13)

原理講論の著者は創世記第1章の天地創造の物語が、自然科学者たちの研究成果とほぼ一致していることを強調しています。初めに光が創造されたことは、宇宙の誕生に関するビッグバン・モデルに一致しています。下等生物から高等生物へと順番に創造されたことは、進化論に一致しています。原理講論の著者はこれらのことには言及していませんが、創造の過程において時間的な過程があったことに注目しています。

「我々は被造世界の創造が終わるまで、六日という時間的な過程があったということを知るのである。ここにおいて、我々は、聖書に記録された創造の過程が、今日、科学者たちの研究による宇宙の生成過程とほぼ一致するという事実を知ることができる。」(p. 75)

聖書は信仰の真理を指し示す書物であって、科学の書物ではありません。したがって、聖書が書かれた目的は、信仰についての真理を明らかにすることですから、天地創造の物語が科学者の見解と一致していなかったとしても、聖書の価値が下がるわけではありません。それでも、科学者の見解との一致を見いだすことができれば、聖書を読む人に対する説得力は増すことになるでしょう。

天地創造の物語における六日という期間について、原理講論は次のように述べています。

「ここにおいて、宇宙は時間性を離れて突然に生成されたものではなく、それが生成されるまでには、相当な時間を要したという事実を我々は知った。したがって、天地創造を完了するまでの六日というのは、実際は、日の出と日没の回数によって計算される六日ではなく、創造過程の六段階の期間を表示したものであることが分かる。」(p. 75)

原理講論は、三という数字に意味があることを強調しています。四位基台が完成するのも、正分合の三段階です。被造物の成長期間においても、三段階の秩序が設定されます。原理講論はこの成長期間の三段階を、蘇生期、長成期、完成期と呼んでいます。

では、人類最初の人間であるアダムとエバは、いつ堕落したのでしょうか。

原理講論は、アダムとエバが堕落したのは、完成期に到達する前の、成長期間であったと説明しています。

原理講論の著者は、完成する前の成長の途中で人間が堕落したことについて、次のように議論しています。

「人間がもし、完成したのちに堕落したとすれば、我々は、神の全能性を信ずることができない。仮に、人間が善の完成体になってから堕落したとすれば、善自体も不完全なものとなるのである。」(p.78)

完成した人間は、善ですから、善である人間が堕落したとすると、神の創造は不完全だったということになってしまいます。その結果、私たちは、神が全能であることを信じることができなくなってしまいます。そこで原理講論の著者は、人間は完成する前の成長期間に堕落したと説明しているわけです。

さらにここで、新しい概念が導入されます。原理講論の著者は、成長期間のことを「間接主管圏」、完成期のことを「直接主観圏」と呼んでいます。これらの議論については、第二章の「堕落原理」に進んだ時に、理解を深めることができるのではないかと思います。ここでは定義を述べるだけに留めたいと思います。

既成教会のキリスト教では、創造の過程に成長期間があったということは、ほとんど強調されません。原理講論の著者は、成長期間を導入することで、聖書をより深く理解しようと努力しました。既成教会のキリスト教徒は、原理講論のこのような独創的な取り組みから多くのことを学ぶ必要があると思います。

🟦世界平和統一家庭連合編『原理講論』光言社、1996年。

いいなと思ったら応援しよう!

岩本龍弘
よろしかったら、サポートをお願いします。今後の活動に生かしていきたいと思います。