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日本を愛する心とキリスト教の信仰を両立させる道とは

私は時々、神社に参拝します。私が神社に参拝した話をすると、必ずと言っていいほど、日ユ同祖論についてのコメントをくださる方がいらっしゃいます。しかし、私は日ユ同祖論ほど有害な思想はないと考えています。

私が神社に参拝するのは、日本人の独自性を尊重しているからです。私の行動は日ユ同祖論とは関係ありません。私は日ユ同祖論には反対です。この理論は日本人の独自性とユダヤ人の独自性の双方を同時に傷つける極めて危険な思想です。この思想は親日のように見えますが、決して親日ではありません。それはまた親イスラエルのようにも見えますが、決して親イスラエルではありません。私は日本人の独自性もユダヤ人の独自性も尊重するべきであると考えています。両者の独自性はまったく対照的です。日ユ同祖論とキリスト教を統合したのは、ホーリネスの創立者である中田重治です。ホーリネス系の牧師は福音派でも日本基督教団でも、中心的な役割を果たしています。統一教会に対する拉致監禁・強制改宗には、数々のホーリネス系の牧師たちが関与しています。

私が神社に参拝した話をした時のもう一つの反応として、家庭連合では「どの宗教を訪ねてもいいんです」というコメントをくださる方もいらっしゃいます。

しかし、私はどの宗教を訪ねてもよいとは思っていません。ユダヤ人にはユダヤ人の独自性があるように、日本人には日本人の独自性があり、その独自性を大切にしたいと考えています。神道は日本人の根源と密接に結びついています。神道を否定することは、日本人の独自性を否定することです。キリスト教徒になることは、日本人の独自性を捨てて世界市民になることではなく、世界市民のように行動しながらも、日本人の独自性を持ち続けることであると私は考えています。ちょうど2階建ての家のように、2階では国境や人種の違いを超えて世界市民のように振舞うことができつつも、1階に降りれば日本人として振舞い、日本を愛する国民として行動することが大切だと考えています。

キリスト教徒は2階建ての家に住んでいる人のようのものです。正教会の信仰を伝道するためにロシアから日本にやって来たロシア人宣教師ニコライにとって、日露戦争は大きな苦しみの時でした。日本がロシアと戦っていた時、ロシア人宣教師である聖ニコライは、日本軍の優勢を喜ぶ日本人の中で、孤独に苛まれていました。日記の中で聖ニコライは、キリスト教徒を2階建ての家に住む人にたとえました。2階に上がっている時には、ロシア人も日本人も一緒に共通の目的に向かって活動することができます。しかし1階に降りた時には、ロシア人はロシア人であり、日本人は日本人であるというのです。1階に降りた時、聖ニコライは孤独でした。特に日露戦争の時の聖ニコライは孤独の闇の中で苦悩していました。聖人とはそのようなものであると言うことができます。誤解してはいけないと思います。聖人とは決して常に2階にいる人ではないのです。

1905年(明治38年) 1月6日の日記の中で、聖ニコライは次のように記しています。

〈たしかに、いまわたしは2階建ての家に住んでいると言える。2階ではわれわれはみな天の父の子だ。そこでは日本人もロシア人もない。大部分の時間わたしはこの2階にいようと努力している。日本人も、そのわたしに合わせてくれている。合わせているのはひょっとすると上辺だけなのかもしれないが、それはそれで結構であって、かれらの気遣いには礼を言いたい。われわれは、同じキリスト教徒として、教会の仕事、翻訳、出版、さらにはロシア人捕虜あるいは日本人負傷者に対するキリスト教的な援助を、一緒に行なっている。そうしたいろいろなことを、天の唯一の父の子たるにふさわしく、一致と愛のうちに、何の障害もなく、喜びながら行なっている。

しかし、ときとして、もろもろの事情の重みに引きずられて、わがたましいは下降し、1階へ降りていくことがある。1階ではわたしはたった一人であり、日本人はいない。おそらくは、日本人もわたし以上に頻繁に自分たちの1階へ降りているだろう。かれらの1階へはわたしは出入りしていない。わたしはひとりだ。思いを分かち合い一緒に嘆いて悲しみを薄める、そういうロシア人が一人もいないからだ。きょうは、まさにそういう一日だった。〉(『ニコライの日記(下)』中村健之介編訳、岩波文庫、2011年、p.191以下。)

このように述べて、聖ニコライは自分の孤独を嘆いています。しかしここには重要な教訓が示されています。それは、キリスト教徒とは、決して世界市民のような存在ではないということです。家の2階に上がっている時は、天の父の子として、どの国の人とも一緒に活動することができるのですが、下の階に降りた時には、日本人は日本人、ロシア人はロシア人であると言うのです。つまり、日本人キリスト教徒は日本人キリスト教徒としての独自性を確立しなければならないということです。おそらく、多くの日本人のキリスト教徒は、世界市民のように生きることを目指しているのかもしれません。私の恩師である熊澤義宣牧師は実際のところ、世界市民のように生きた人であったと言えます。しかし聖ニコライはそうではありませんでした。彼はロシア人キリスト教徒としての独自性を保ちながら、日本人に正教を伝道しました。日本の教会に欠けていることは、まさにこれであると言えます。日本人キリスト教徒としての独自性を確立することが今、日本のキリスト教徒に求められているのです。

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岩本龍弘
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