「向き・不向き」と「努力した時間」が「結果・実力」になる
「向き・不向き」について、例えば、マラソンとサッカーのゴールキーパーで考える。
マラソンに向いている人は主に、「体格が細い人」、「長い距離を走ることが苦でない人」だと思う。
サッカーのゴールキーパーに向いている人は主に、「瞬発力と反射神経のある人」、「人を指示するのが苦にならない人」だと思う。
これは私の経験から感じたもので、上にあげた例だと「長い距離を走ることが苦の人」はマラソンが不向きである。
「努力した時間」は、例えばマラソンならば、「走った時間」、「マラソンに必要だと思って栄養学や体の構造について調べた時間」、「怪我ばかりで苦しい中、原因を調べて怪我後により強くなろうと試行錯誤した時間」である。
「向き・不向き」と「努力した時間」によって、自分の「結果・実力」になる。
ここでの「結果・実力」は、例えばマラソンなら「自己ベスト」。サッカーのゴールキーパーなら「セービング技術・コーチング・キックの精度などのゴールキーパーとしての総合力」である。
勉強でもスポーツでも芸術でも「努力した時間」が同じなのに、「結果・実力」が負けてしまうということがある。
実際は自分の見えないところで努力しており、「努力した時間」ということもあるが、
「なぜ勝てないのか」「根本的な部分で勝てない」
と思うことがある。
それは「向き・不向き」の問題だと考える。
「向き・不向き」(aとおく)と「努力した時間」(tとおく)と「結果・実力」(Rとおく)について、簡単な数式に表すと、
R=a×t
(a>1)
(t>0)
であると私は考える。
この公式をもとに、「マラソンが向いている人」と「マラソンが不向きな人」を例に考える。
「マラソンが向いている人」の(向き・不向き)を100とする。
「マラソンが不向きな人」の(向き・不向き)は「マラソンが向いている人」よりも少ないと考える。
よって「マラソンが不向きな人」の(向き・不向き)は50とおく。
先ほどの数式に当てはめると
R(向)=100×t(向)
R(不向)=50×t(不向)
となる。
このように考えると、「努力した時間」が1時間でも、向いている人は100の「実力・結果」で、不向な人は50の「実力・結果」となり、ここで差が生まれる。
よって、「努力した時間」が同じなのに、「結果・実力」が負けてしまう原因は、「あの人は自分より向いていて、自分より少ない努力時間で同じ実力を得る」もしくは、「あの人は自分が知らないだけで、自分より多い努力時間」である。