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「言葉の多義性」卒業式と聞いて思い浮かべるイメージって何でしょう?

皆さんこんばんは、福田達也です。

今日のお昼過ぎから夕方にかけて、町中を歩いていると着物を着た女の子や、スーツを着た男の子と多数すれ違いました。

3月の末頃といえば色んなイベントが思い浮かびますが、何なんだろうと調べてみたら、今日の3月23日に卒業式を迎えられた方が多いようですね。このnoteを見ている中にいらっしゃるかは分かりませんが、ご卒業おめでとうございます。

さて、皆さんは卒業式といえばどんなイメージを思い浮かべるでしょうか?ちょうど前回「言葉の多義性」について紹介をしたので、「卒業式」の持つ言葉のイメージについて、ちょっと思いを巡らせてみようと思います。

※ちなみに、前回の記事で「シニフィアン」と「シニフィエ」について説明しましたが、自分の解釈なので誤っているかもしれません。誤解を避けるため、今回は敢えてこれらの用語は使用しません。


卒業式ってどんなイメージ?

まず言葉の定義としては、「卒業式」とは、「卒業に際し、行う儀式。」であり、「卒業」とは、 「学校の全課程を学び終えること。」もしくは、「ある段階や時期を通り過ぎること。」です。この辺りは、皆さん共通の認識を持っているのでは無いでしょうか。

では、「卒業」という言葉から想起されるイメージはどんなものがあるでしょうか?自分の場合だと、

「桜が咲いていそう」
「大講堂にみんなが集められていて順番に呼ばれている」
「教室に別れを告げている」
「今までの友達とは別の道を歩む」
「どこかもの寂しい感じ」
「生活がガラッと変わる不安と新しい生活へのワクワクがないまぜになった気持ち」
「(ある段階をすぎるの意味だと)固執していたものからの脱却」
「新しいステージへの第一歩」

別れもありますが、それも新しいステージへの第一歩と言った感じで、どちらかというとプラスのイメージでした。

皆さんはどんなイメージを思い浮かべたでしょうか?

言葉のイメージは時とともに移り変わる

話はガラッと変わりますが、「プラスのイメージしかない言葉」という事から、思い出すことがあります。それは、言葉のイメージは世の中の共通認識によっても移り変わっていくという事です。

「世の中の共通認識」という話で思い出すのは、「ゆとり」という言葉です。

「ゆとり」という言葉ですが、昔はプラスのイメージしかなかったことを覚えている方はどれほどいるでしょうか。私の記憶が確かなら、プラスのイメージしかないという理由から、新しい学習指導要領がプラスに捉えられるように文部科学省が"「ゆとり」の中で「特色ある教育」を展開”という表現を使ったと認識しています。

しかし、2002年の新しい学習指導要領により、子どもたちの授業時間が大きく減りました。それが原因となってか、国際学力調査である PISA 調査の成績が低下。世の中は新しい学習指導要領へのバッシングが起こりました。結果として、この学習指導要領は、2008年に改定され、2011年にはその幕をおろしました。

そしてちょうどこの時、この世代で学んできた子どもたちを「ゆとり世代」と呼び、”「ゆとり世代」だから〇〇できない”というなど、「ゆとり」という言葉にマイナスのイメージがつくようになったのです。

ついこの前までプラスだった言葉が、世の中の出来事1つで真逆に変わると思うと、なんだか怖いですね。

まとめ

今日は卒業式から、言葉のイメージするものや連想することをとりとめもなく書いてみました。言葉通りまとまりのない文章になってしまいましたね。

改めて、言葉の持つ意味の豊かさや広がりを感じましたし、捉え方や世の中の出来事1つでイメージが変わっていく怖さも感じました。とはいえ、どうせ言葉を使うのならいい意味で使うように心がけていきたいですね。

本日も読んでいただき、ありがとうございました。
また次の記事でお会いできるのを楽しみにしています。


※念の為補足しますが、自分も学んでいた時期としてはいわゆる「ゆとり世代」に被っていますし、学習指導要領の是非やそれを受けてきた人たちについては、話題に挙げるつもりはありません。あくまで、言葉のイメージは変わるという話がしたかっただけです。

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