私は驚くべき記事を思いついたが、このページはそれを書くには狭すぎる【30分チャレンジ】
皆さんこんばんは、福田達也です。
ちょっとネタっぽい今回のタイトルですが、下記の有名な名言のオマージュです。聞き覚えのある人も多いかもしれません。
なんか響きが格好いいですよね。今回は、このフェルマーの最終定理に関するお話をしようと思います。
数学の大天才フェルマーという人
ピエール・ド・フェルマー(1607-1665年)はフランスに生まれた裁判官であり数学者です。フェルマーは裁判官として働くかたわらで、趣味として数学を楽しんでいました。
当時の著名な数学者とも交流があり、パスカルと共同で確率論の基礎を作ったり、デカルトと文通を交わしながら解析幾何学を創案するなどの功績を残していたそうです。中でも数論(数、特に整数およびそれから派生する数の体系の性質について研究する数学の一分野)についての貢献度が高く、「数論の父」と呼ばれています。
フェルマーの最終定理
フェルマーは1630年に古代ギリシャの数学者、ディオファントスが著した『算術』の注釈本を愛読していました。そして読み進める中で、『算術』の余白に48の注釈を書き加えていったそうです。
フェルマーの数論に関する功績が知られるようになったのは、フェルマーの死後。書籍を発見した長男が、『算術』の書籍を、父の書込み付きで再出版ことがきっかけでした。
48の書き込みのうち、47は確証・反証が見つかりましたが、最後の一つだけがどちらも見つけられないまま多くの時が過ぎ去ります。それが下記の「フェルマーの最終定理」です。
そこに書かれている式はとてもシンプルで、中学生でも取り組めそうなぐらい理解が簡単です。そして、フェルマーはこれを証明したと言い張るものの、その注釈に記されていたのは下記の文言。
しかし多くの数学者の努力にもかかわらず、300年以上の間この証明がなされることはなく、最終的に証明されたのはなんと1994年になってからでした。
それまでには多くの歴史やドラマがあったそうで、その書籍も出ているそうです。私は下記の動画のおすすめで知りましたが、機会があれば読んでみたいです。
フェルマーは証明していた?
さて、このフェルマーの最終定理ですが、フェルマーは実際に証明できていたのでしょうか?
どちらの意見もありますが、フェルマーは証明できてなかった(本人は証明できたと思っていたが、完全ではなかった)というのが通説です。
その理由として大きなものは2つです。1つ目は後の数学者をもってしても300年以上の年月がかかったということ。もう一つは、フェルマーの最終定理の証明には、フェルマーの没後に確立された数学的な理論が多く使われているからです。いくらフェルマーが天才といえど、存在しない理論を使うことはほぼ不可能です。
とはいえ、実は証明できていたという可能性もあります。もし証明できていたけれども公表していなかっただけだとしたら?と考えるのも面白いかもしれませんね。
終わりに
今回はフェルマーの最終定理に記された有名な言葉から記事を思い出したので記事にしてみました。
ちなみに今回の記事も30分の時間制限で書いています。途中で時間切れになったときのために、「私は驚くべき記事を思いついたが、このページはそれを書くには狭すぎる。」という文言を下の方に準備していたのですが、幸いにも使わなくて済みそうです。
今後の記事の中で時間切れになったらこのフレーズでお茶を濁そうと思います。
本日も読んでいただき、ありがとうございます。
また次の記事でお会いできることを、楽しみにしています。
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