「不完全に対する漠然とした不安」
新しいモノに対していつも「どうなんだろう?」がつきまとってくる。それはいったいなぜなんだろう?
わたしは答えが欲しくて、少しこのことについて本気で思考してみることにした。
「電子書籍に対する漠然とした不安」の答えです。
わたしの周りの人たちは紙の本ではなく、Kindle(電子書籍)を有効に活用している。その便利さは横にいてとても伝わってくる。
本棚がいらない。マーキング機能。紙媒体ではないので安い。何千何万冊の本を持ち歩ける。
わたしがうらやましいと思うのはこのあたり、、、、「なんて便利なんだ!!最高じゃないか!!」心はいつも叫んでいた。
なのに持っていない。
いくつもの便利なモノが、わたしを悲しませたからです。
音楽
音楽を聴くときカセットテープで聴いていました。これは早い段階でゴミとなります。
CDを買い漁りました。いくつもコレクションにしたりMDというカセットテープの代わりになったモノに録音して集めました。
今はもうCDもMDも聴くプレイヤーがないのでゴミとなりました。
映画
映画をビデオテープに録画しまくりました。DVDが現れてゴミとなりました。
DVDをたくさんコレクションしました。Blu-rayが現れ集めるのをやめました。
気がつけばプレイヤーもなくなりゴミとなった。
ゲーム
ゲーム機もそうでしたね。
過去所有していたものは、ファミコン。ファミコンディスクシステム。スーパーファミコン。ゲームボーイ。ゲームボーイカラー。セガサターン。Nintendo64。PlayStation。PlayStation2。
当然これらにはゲームソフトが存在し、何百本も所有していましたが全てゴミとなり、わたしの目の前に存在していません。
過去から今日まで、わたしは繰り返し繰り返し「新しいモノ、古くなるモノ」に悲しまされたのです。それがある種トラウマとなってしまっているのです。
本
そして現在、わたしの部屋を見渡します。
「本だけは何も変わらずに、わたしのそばにいる」
過去の記憶を見渡しても、そこにはずっと変わらず、何も変わらず、本は存在してくれている。
わたしにとって「紙の本は、完全な、完璧な、完成されたモノなんです」そこに「漠然とした不安」はいっさい存在しません。
最初が何から始まったかわかりませんが、、、、壁画や石板や粘土板といったモノを経て、「紙にインク」にたどり着き、何千年もの時を越えて、現在も変わらず存在し続ける。
思考した答えは以上です。
わたしが生きてる間、紙の本がわたしを裏切ることはないでしょう。
そんな紙の本を、わたしは裏切ることはないでしょう。
これからも紙の本と一緒に「友人」として人生を歩んでいこうと思う、思考となりました。
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