競技生活で一番大変だったこと
競技で一番大変だったことを振り返ると2019年のカナダでのシーズンを真っ先に思い出しました。2019年はカナダのモントリオールでプレーしていました。モントリーオールはフランス語を第一言語として話される都市でフランス人の友人から「英語とフランス語で半々だから大丈夫だよ」と言われあまり言葉の心配はしていませんでした。
しかし実際の生活が始まり、街では表記はほとんどフランス語で英語での補足はほぼありません。1週間後にチーム本拠地のグランドの横の家に引っ越しチームに合流すると更なる困難とぶつかることに。
それはチームのミーティングや試合のアナウンスがフランス語で行われること。幸いほとんどのメンバーは英語も話せるためコミュニケーションは取れましたが、英語を話したがらない選手も中にはいました。
現地に到着してフランス語を必死になって勉強しましたが、早々に挫折。話せるようになるには語学学校にフルタイムで1年ほど通う必要があると聞きました。英語が話せるようになったから今度はフランス語も!という考えは甘すぎたようです。ちなみにモントリオールではトリリンガル(3カ国語話す人)も多く、実際に出会った人も英語や日本語を話す人もいて、とても驚きました。
野球となればやるべきことは変わりません。限られたチャンスで結果を出しレギュラー入りして勝利に貢献したい。その思いで練習やトレーニングに励んでいました。シーズン中盤戦に元3Aの投手と対戦。ここで結果を出しさらにチャンスを広げたい、出場機会を増やしたい!そう思って打席に向かいましたが、手首にデッドボールを受け骨折し長期離脱。
ここからが競技人生で一番キツイ思いをしたと思っています。結果が出ず試合に出れないことは今までもありました。いろんな想いを持ってオーストラリアからカナダに来たのに何も出来ない。ただ待つしか出来ない、遠征にも帯同せず来シーズンのことを考えたり、手術するなら帰国も考えないといけないのか。さまざまな感情が湧き出て「何してるんだろう」と無力感に支配される日々。
そんなとき監督が「プレーオフに照準を合わせて戻ってこい!」と前向きに背中を押してくれました。ちょうど日本からプレーオフの時期に友達が旅行に来てくれることもあり、できることに目を向け始め約1か月。医者からGoサインが出て徐々にプレーを再開。
友人が日本から来てくれた試合は出ることができず、とても嬉しくも悔しくもありました。2日後の最終戦に代打で出場。1か月ぶりの実戦。チームメイト全員が今まで聞いたことがないぐらいの大きな声援をベンチから送ってくれました。「みんな見ていてくれたんだな」と思いながら、噛み締めて打席に向かう。結果は三振、後続も倒れゲームセット。シーズン終了。
何ひとつ思い通りにいかなかったシーズンで言葉、怪我、成績不振とマイナスの部分に目を向けるとキリがないですが、間違いなく打たれ強くなり今後に活かせばこの経験は無駄にならない。
そう思っています。
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