【第一話】片方だけおっぱい
入るか、否か。今、おれは究極の選択に立たされているといえる。
「十八歳未満立ち入り禁止」という意味を持ちながら、両手でおれを突っぱねている絵柄が、息もできない距離でゆれる。この黒い幕の向こう側には、まだ見知らぬ神秘の世界が広がっているのだろう。
今、ここで入らなければ、ずっと後悔するだろう。無論、チャンスなんて次回でも、そのまた次回でも、いくらでもあるのだけれど、実際おれはもうすでに、アダルトな領域に片足を踏み入れているわけで、この中途半端な状態を美人な店員にでも見られる可能性があるのが恥ずかしいわけで。
もう片足が魅惑の世界に入りたいと震えている。覚悟を決めろ。
……まずい。目が合った。誰もこんな畜生なおれを見ていないだろうかと、きょろきょろ見回しているうちに、遠くのレンタルカウンターにいる若い店員と目が合った。彼女は、一瞬こちらを見たあと、すぐに目をそらした。
見てはいけないものをみてしまったときみたいに、彼女はもうこちらを見る気配はない。やめてくれ。そんな目で見るのはやめてくれ。これでも、いや、これこそが健全な男子高校生なのだから。
すっと入ればいい。銭湯にきたような感じで、のれんをくぐるような気持ちで入ってしまおう。極めてスマートに、涼しい顔をしながら入ってしまおう。
……ああ。勇気を振り絞ると同時に、力も振り絞った。ずっと固まっていた身体が、照れ臭く、アダルトコーナーに転がり込む。嫌悪の瞳から逃げるためにこの世界に入りこんでしまうなんて。という気持ちは一瞬で消え去った。
何も身に着けていないおねえさんたちがパッケージで踊っている。遠めでもわかる、たくさんのいやらしいおねえさんたちのオンパレード。対し、制服を身にまとったおれは、汚れたおじいさんたちの視線を浴びながらも、次々へと好みのおねえさんが写ったパッケージを手に取っていく。
企画もの、素人もの、大物女優出演作……。
もはやおれにジャンルなど関係ない。そこに乳さえあればいい。時間に比例して、おれの気持ちは高まっていく。もう、本当にドキドキがたまらない。学校なんて辞めて、ここで暮らしたい。と思うくらい、アダルトに溺れていく。
緊張が収まると、好みの爆乳シリーズへと足を運ぶ。中ほどまでいったあたりで、おれは衝撃的な光景を目撃した。アダルトコーナーに入ったときよりも、何倍も、強いショックを受けたのだ。
そこには、おれとたいして年の変わらなさそうな、あるいは年下の女の子が、その白く透き通った手でアダルト作品をつかみとり、静かに、そして哀愁を漂わせながら見つめていた。鳥肌がたった。でも少し、親近感があるというか、なんだか嬉しくなる。
その不思議な少女は、一度パッケージを元の場所に戻した後、再度他のパッケージへと手を伸ばした。小さい手で持ったパッケージをひたすら見つめている。決して覚えたてではない完璧な動作が、そこらのおっさんや、おれと同じだ。やがて繰り返されていた動作は止まり、とあるパッケージに彼女の視線が止まった。
彼女に興味のないふりをして、彼女の後ろを、さっと通った。彼女の純度百パーセントの黒髪が、おれが通ったことによって発生した風圧で静かに揺れる。すると、シャンプーの香りがおれの鼻を突き抜け、目の前の人物が女の子であるということを改めて認識させられた。
疑問はいくらでもある。清楚で、端正な顔のつくりをした彼女がなぜエロを嗜んでいるのかということと、どうして彼女はパッケージに写った女優の乳ばかり見ているのだろうということ。このふたつだけは、どうしても気になって仕方がない。
もしかして、借りるのか……?
そんな疑問が浮かんだ。あんな綺麗な彼女が、あんなビデオを借りて、家で吐息を洩らしながら見るのだと思うと、自然に心拍数があがる。ああ、気になる。その様子を見てみたい。その動機をきいてみたい。
急にわいた欲望があまりにもおれを狂わせる。次の瞬間には、普通はありえないような言葉を彼女に投げかけていた。
「胸ばっかりみてさ、なに、それ、借りんの?」
びっくりした。
あまりにも無防備で、自分でも馬鹿みたいだと思ってしまうような質問。そして、少し攻撃的な言い方になってしまったのは、その裏返しの意味があるからだろう。
彼女はこちらのほうへ顔を向けたが、目は合わさずに、何も言葉は放たなかった。
また、柔らかいかおりがする。なんだか、この子は、色素の薄い花弁みたいだ。なぜかこんなところに咲いてしまった花の断片。完全に、景色にから浮き出てきてしまっている。
彼女の表情は、エロで興奮しているというよりも、どこか切なげだった。本当は綺麗に咲いていたのに、いくつかむしりとられた、庇をつくる薄い影。
彼女は俯きながら、大事そうにかかえていたパッケージを元の場所に戻した。彼女は困惑したようで、そわそわと変な足踏みをはじめた。
たぶん、早くこの場から、この空気から逃れたいのだろう。おそらく彼女は、おれとは全く違う意味で心が高鳴っている。
それでも、意を決したのか、彼女はくるりと反対を向いて、おれに背中を見せた。ゆっくりと彼女が遠ざかっていく。アダルトコーナーに現れた女の子はまるで女神のようで、せっかくこんなところにいる麗しい姿をこんなにも早く視界から消してしまうのはもったいない気がした。
間もなく、おれの右手が純粋に満ちた風に動く。
「ちょっと待って」
彼女の左手をやわらかく掴んだ。まるでドラマのワンシーンみたいじゃないか。だが、ここはアダルトコーナーなのだ。こんな光景を同級生に見られると、カッコいいはずがなんだか気恥ずかしくて仕方がない。
「わっ」
優しくつかんだつもりが、そのあまりにも儚くて脆い彼女の肌の弾力のせいで、余計に力が入ってしまっていた。
「やめてください」
彼女のもともと声は高いくせに無理やり低く調節したような、威嚇したような声がやけに色っぽい。
「ごめん……」
おれがそういうと、彼女は弱々しくおれの掴んだ手を振り払った。あまりにもその力は微力だったのに、おれの手はあっけなく離れた。
どうかしていたのかもしれない。見知らぬ女の子の腕をいきなり掴むなんて。
いや……、それか、どうかさせられていたのかもしれない。哀愁を漂わせながらアダルトコーナーで女優を物色する女の子なんて、世界中探してもいないのではないだろうか。何か特別なものを感じずにはいられなかった。あの表情。彼女におれは吸い込まれていたが、彼女は確かにアダルトビデオに吸い込まれていた。
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