「語彙力がある」ということは別に良いことではない。それでも俺は、、

俺は言葉が好きだ。

それが影響してかは定かではないが、本は毎日読むし、人と話すのも好きだし、言語学習も好きだ。ラップのような言葉遊びも勿論好きだ。

そうなると自ずと語彙力は上がっていく。と言うより寧ろ、わからない単語が出てくると自然と意味を調べるから勝手に増えていく。何もしなくても増えていく。

でもそれは、本当に良いことなのだろうか?

「語彙力があると自分の感情や言いたいことをより的確に相手に伝えることができる。」

このような言い分はよく聞く。それは果たして本当か?

言葉は相手に伝わって、初めて意味のあるものになる。相手に伝わらない言葉を使うのは

「コミュニケーションの放棄」

だと思う。俺は相手のレベルに寄り添うことが最優先だと思う。別にナメてるわけではない。

あるグループの会話において語彙力のレベルの律速、ボトルネックがどこなのかを判断することの方が大切なのではないだろうか?

例えば今書いた文章において無理やり使った「律速」や「ボトルネック」は日常的に使わない人は意味を知らない。このような人に配慮して別の簡単な言葉で説明すると、語彙力は特に必要ない。

より簡単な言葉で伝えた方が逆説的に頭が良い、賢明な判断ということになる。

俺はこの場で自分自身の語彙力の有無を議論したいのではない。ただ単純に語彙力って別に要らなくね?って話がしたいだけである。

英語で俺がいきなり、

「Are you nuts?」

って言うより、

「Are you stupid ?」

の方が親切だし、さらに

「Are you serious?」とか「Are you kidding?」

とかの方が言わんとすることは伝わる。第二言語同士の会話なら尚更だ。

だから結局お前は何が言いたいねん?ってそろそろ言われそう。

ここまで書いてきて全く逆なことを言うが、

俺はただ単純にもっと自分の中からスッと出てきた言葉を使いたいんだ。もっと自由に自分の言葉でnoteを書きたいんだ。

毎度文章を書いてて、

「この単語はあまり一般的ではないから他の言い方に変えよう。」

とかを考えるのが本当にめんどくさい。俺はもっとカタカナの長い単語とか、難解な単語を使いたいんだ。イキリ散らかしたいんだ。

けどそれをするとわざわざ時間を割いて読んでもらってる人たちに俺の言わんとするとこが伝わらなくなる。板挟みになるんだよ。

この「板挟み」って単語すら、使うか悩むんだぞ。頭おかしくなるぞ。「ジレンマ」とか使っても大丈夫なのか。いや、それは流石に舐めすぎか。

今後投稿する文章の中で今わからんカタカナの単語とかよくわからん単語が使われてたら自分で調べてくれ。俺は使いたくてしょーがねぇーんだ。落合陽一みたいになりそうだな。あれは一線越えてて、もはやエンタメみたいだが。

ここまで読んでくれてありがとう。

御礼と言っては何だが、最後に俺が大好きな高校時代の友人の語彙力エピソードを1つ。

友人A「友人Bってボキャブラリーないよな。」

友人B「えっ?ボキャブラリーって何?」

天才すぎる回答で今でも笑える。
こいつはしっかり浪人して今では俺の後輩だ。バカだなぁ。







貧乏学生の食費に費やします。