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若葉のいろ

「ファースト・オブ・メイ」と聞いて、ピンとくる人はかなりの年配になるだろうか。映画「小さな恋のメロディ」の挿入歌である。邦題は「若葉のころ」とつけられ、映画のシーンに相応しいタイトルとなった。ビージーズが、まだディスコサウンドに入る前の名作である。それは、5月1日を指すのだろうか。もっと広く指してもよいのだろうか。「駆け出し」の意味もあるというから、幼くて一途な恋をモチーフに、「子どもたちの世界」を描いたあの映画には、ぴったりの訳だったかもしれない。
 
黄緑、などという雑な呼び方はするべきではないだろう。その緑は、命の息吹を強く感じさせる。キリスト教世界で、クリスマスもそうだが、緑色がひとつのシンボルになるのも、新しい命を象徴するからだと言われる。冬の間に枯れていた草木が芽吹き、新緑が輝くとき、よけいに緑が鮮やかに見えるのかもしれない。
 
少し前だが、妻が眼球の手術を受けた。専門的に述べることはできないが、殆ど障害の級に入るくらいの視力だったのだ。もう眼鏡では矯正できないほどで、コンタクトレンズでかろうじて生活ができる、という程度である。それが、この手術によって、そうとうに良い視力を得たのである。
 
「世界って、こんなにきれいだったの?」というのが、見えるようになった彼女の感動の叫びだった。手術は真冬だったから、春になり花の鮮やかさにまず叫んでいたが、初夏の若葉の緑には、ことさらに驚いていた。
 
それまでにも、その緑はあったのだ。だが、自分の目のために、それが見えていなかった。まるで認識論の初歩のようだが、なにしろ見えていない本人にとっては、そうは見えないのだから、世界の輝きというものについて、知ることがないわけだ。
 
自分の罪のために見えないものが、その罪が赦されることで、初めて見えるということがある。見えて初めて、自分の罪が如何に自分を閉ざしていたか、に気づくというわけだ。だが気づかないままだと、世界は濁ったものだという理解で終わってしまう。「濁った」ということさえ知らないで、それが光であると思い込んだままで。
 
もちろんこれは、彼女の精神のことを言っているのではない。そこから与えられた教訓のようなことを言いたいだけである。

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