信仰のエッセンスとしてのアドバイス
エフェソ5:10-20
エフェソ書の中でも、あまり注目されない箇所ではないかと思われます。「主に喜ばれるものが何かを吟味しなさい」から始まりますが、これは心に刻んでおきたい言葉です。「闇の業」は明るみに出すわけにはゆきません。口にするのも恥ずかしいことは、私たちの中にも、そうしたことの一つや二つはあるのではないでしょうか。
それは光ではなく、闇です。「キリストがあなたを照らされる」のだから、キリストなしの世界は闇なのです。闇の中の者は、眠っています。それは死者の世界だとも言えます。けれども、復活の恵みに与るキリスト者は、死者の中から立ち上がります。眠りこけている場合ではありません。この辺りもまた、コロサイ書の修正版になっています。
あなたがたは「知恵のある者」であり、「悪い時代」の中で「時をよく用い」ることが求められています。「主の御心が何であるかを悟りなさい」とくれば、初めに示した忠告と、きっちり重なるものを感じることでしょう。愚かなる道に迷い込むことなかれ。酒に酔うより、霊に酔え。言っていることは、要するにそういうことだと思います。
さすがに、そこまで砕けて訳すことは憚られるでしょうが、私はそう受け止め、そう覚えておきたいと思います。霊に酔う、とはどういうことでしょうか。「互いに詩と賛歌と霊の歌を唱え、主に向かって心から歌い、また賛美しなさい」というアドバイスに従うことでしょうか。今日の箇所からの、積極的な命令の第3弾がこれでした。
賛美の歌を、キリスト教は欠かすことがありません。そのために力強いこうした言葉は、うれしいものです。古の教会でも、歌声が絶えなかったのではないかと思いたくなります。イエスもまた、弟子たちを連れて、オリーブ山へ、賛美の歌を歌いながら歩いたといいます。パウロも、牢に入れられてなお夜中に賛美の声を挙げていた、というのです。
こうしたアドバイスは、結局「いつも、あらゆることについて、私たちの主イエス・キリストの名により、父なる神に感謝しなさい」という最後の言葉にまとまってゆきます。地味な箇所のようですが、信仰生活に必要な心構えが、たっぷりと盛られているように感じます。「今は悪い時代だから」「時をよく用いなさい」との言葉も響いてきます。