それでも、待ちましょう (ミカ5:1-5)
NHK朝の連続テレビ小説を、ここ何年か見ています。いまは「カムカムエヴリバディ」ですが、先月から辛い場面の連続です。まだ幼いようなヒロイン安子は、純粋な愛で学生の稔と結婚します。学徒出陣が決まったことで、結婚が相手の親から許されたのでした。子を宿し、生まれ育てているとき、終戦を迎えます。一家は稔の帰りを待っていました。しかし、その戦死の知らせが届きました。安子は涙が涸れるまで泣き果てた末、さらに辛い仕打ちに遭うことになります。
戦地で死んだ兵士たちはもちろんのことですが、生き残った家族や関係者も、人生が一変します。それが戦争です。三浦綾子さんというクリスチャン作家がいましたが、戦争中に教師をしていて、子どもたちに自分が教えていたことが覆された戦後、自暴自棄になっていた中で、キリストと出会ったといいます。
戦後、東京大学の総長に就任したキリスト者の南原繁さんも、多くの学生を戦地に送ったことを悔やんでいました。小説『夏の坂道』は、この人の生涯をドラマチックに描いていて、たいへん読み甲斐があります。まだお読みでない方は、機会があったらどうぞ開いてみてください。
戦争中に、実は戦争に反対していた、というような描き方をするドラマや映画があります。ほんとうにそうだろうかとも思います。人は表向き皆に合わせているが、内心そうではない正義があるのだ、とでも言いたいようで、私は少し抵抗があります。結局「仕方がない」と大勢に従うのが常であるか、あるいはそれで苦しむよりは、もう全体の考え方に同調して気を楽にしようとする方が普通ではないのか、と思うからです。
今の私たちから見て、戦争万歳と言っているような人たちは、おかしいように見えるかもしれません。また、今も他のある国々では、戦争中でなくても、戦争に近いような支配下にあって、独裁者を神のように言い忠誠を尽くしている様子が報道されていて、あの人たちは変だ、というふうにしか見えないことが多々あるのではないでしょうか。けれども、そこで生きていくためには、ああなるのは当然ではないか、と私は考えます。実際、日本でも、そうなっていたわけです。
それは自虐的だ、とはねつける勢力もありますが、何もそうした思想統制の中で国粋的になっていた人たちを、私は悪く言っているつもりはありません。人間は状況下で、そのようになるものなのだ、と捉えているだけです。かつての日本でもそうだったし、これからいつでも、そのようになりうるのだ、と見ているわけです。
では、国が攻められてきたらどうするのだ。こう凄む人々もいます。国防は軍事力によるのであり、無防備の丸腰でいるべきだなどという理想は無責任極まりない、と。難しい問題です。ただ、戦争をカッコいいように思わせることだけは、錯覚もいいところなので、認識しておくべきだろうとは思います。未来戦争もののアニメでもよくありますし、太平洋戦争を描く映画でもよくありますが、勇敢に敵と戦って前向きに倒れ死ぬといった姿は、戦い甲斐のある、一種のカッコよさを映し出すかもしれませんが、戦死者の半数以上が餓死であったのではないかという調査があり、疫病による死者もどれだけいたか知れません。下手をすると、特攻隊の若者に涙しがちな私たちですが、戦死とは実に酷いものです。
いやいや、戦争を体験もしていない私のような者が、偉そうに言うことはできません。でも、現実に戦争を語ることのできる人々が、次々と姿を隠すように時間が運んでいってしまいます。それを、その次の世代がまず受け継ぐ必要はあると感じています。
沖縄戦についてもそうです。私は大人になって、初めて沖縄戦の事実を知りました。それでしばらく沖縄のことばかり調べ、考えていました。インターネットで情報収集ができなかった時代のこと、なかなか手元に資料は見当たりませんでした。ついに新婚旅行先を沖縄に選び、現地で写真集などを購入したのです。それで沖縄戦について語れば、もはや聖書を説き明かすこととは別の方向に走ってしまいそうですので、またの機会を待ちたいと思います。
1945年の8月14日に実質的に戦争が終わりました。15日は、戦後十年ほど経って、天皇を中心とした思想に戻そうとする人々によりつくられた終戦の日であり、いまなお、キリスト教界すら、まんまとその掌の上で泳がされて15日を敗戦と言い換えて抵抗しているところもありますが、空しい気がします。
中国残留孤児という呼び方で、一時さかんに問題視されたこともありました。シベリア抑留といって、ソ連(現ロシア)に留め置かれた日本兵は何十万人といたといい、その1割は少なくとも過酷な労働で死亡したとも言われています。
こうした人々を含み、終戦当時、日本国外にいた日本人は何百万人もいたとされ、やがて日本に戻る動きになります。もちろんすぐにはなかなか帰国できません。息子の帰りを今かいまかと港で待つ母親を歌った「岸壁の母」という歌は、いまもお年寄りの心に残り、また長い台詞の部分まで歌える方と、熊本で出会いました。熊本地震の被災者のためにささやかなボランティアに行った時のことでした。待っていて、その日に会えるという保証はありません。そればかりか、いつまでも会えないという悲しい可能性も頭を過る中、帰ってきてくれさえすれば、ああするのに、こうするのに、との希望を胸に懐いて、日がな一日待つことを繰り返す母親、いえ、父親だろうが、誰だろうが、待つしかないのです。待ってさえいれば希望があるということを、一縷の望みとしながら。
「岸壁の母」は、京都府北部の舞鶴港を舞台にしていました。それですっかり舞鶴が有名になったのですが、引き揚げ者の人数からすれば、実は最大の引き揚げ港は、博多港であっただろうと推測されています。長崎の佐世保もそれに匹敵するくらいの人数であり、舞鶴はその半分ほどの人数だと言われています。
引き揚げとなると、ただ帰って来るだけのように思われますが、環境は散々なものでした。博多枠の陸近くに浮かぶ大きな島、能古島というところがあります。ここの「能古博物館」をある時訪ねました。別館2階には、「海外引揚の記憶」というコーナーが常設されています。コレラなどの感染症患者がいないかどうか、上陸前に検疫が行われる必要があり、そのために能古島が利用されました。人々は能古島沖の検疫錨地で、一週間は留め置かれるようなことになります。そこでは、医療従事者は忙殺されていたと思われます。
お感じになったことでしょうが、この2年に及ぶ新型コロナウイルス感染症の中でも、まさにこの検疫とそれから治療という点で、医療従事者は大変な中に置かれ続けました。まだ終わっていません。厳戒態勢は続いています。今でこそ医療機器や衛生状態の点でいくらか恵まれているかもしれませんが、終戦当時は、想像を絶するものだったと思われます。
この能古島へは、漫画家のちばてつやさんも引き揚げてきました。そのため、この能古博物館には、ちばてつやさんや、同じように引揚者であった赤塚不二夫さんらとともに「中国引揚げ漫画家の会」が描いた、引き揚げの様子を描いた絵が展示されています。
長々と暗いお話ばかり続けてきてすみません。戦争は民族を分断するばかりでなく、終戦だから元に戻ったというようなものでもないこと、また戦地から戻る人たちを待っている人々がいるということのイメージを強く持って戴くための、私たちにも馴染みのあるところから捉えてみたいと思ったのでした。
日本の戦争も、先行きの見通しが立たないままにこじれて原爆にまで至ったことで、どうにも勝ち目のないものであったのかもしれませんが、こちらの戦争も、そう呼ぶにはあまりにお粗末な結果がありました。イスラエルのアッシリア捕囚です。
イスラエルとくれば、バビロン捕囚が有名であり、こちらが決定的に打撃を与えたのですが、バビロン捕囚が紀元前587年から578年頃に新バビロニア帝国に強制移住させられた、南ユダ王国の悲劇でした。記録がかなり詳細に残っています。それに対して、アッシリア捕囚は、イスラエル北王国への攻撃によるもので、紀元前740年頃から722年頃にかけての出来事でした。こちらは記録の点で曖昧で、イスラエルの十部族はこれにより失われたとみられています。小国イスラエルなど、大帝国アッシリアに睨まれたら、ひとたまりもありませんでした。
アッシリア帝国は、当時最大の勢力を誇っていた大国で、メソポタミア地方を支配下に置いていました。それが南へ勢力を伸ばし、イスラエルからやがてエジプトまでも治めることになります。史上最古の軍事国家と目され、楔形文字の最盛期だったのではないかと思われます。軍事的にも文化的にも高度な文明に達していた国でした。
預言者ミカについては、あまりよく分かっていないようです。イスラエル王国は先のアッシリアの攻撃で国としての体をなしていなかったように思われます。ミカはモレシェトの人だと書かれていますが、このモレシェトとは南ユダ王国の町だそうで、滅んだ北のことに思いを馳せていたのか、あるいはその影響でユダのほうでも厳しい状況になっていたことから、神の審判についての見解を形にしたようです。どうやら横暴な政治や宗教の体制となっていたようないいぶりです。
5:1 エフラタのベツレヘムよ/お前はユダの氏族の中でいと小さき者。お前の中から、わたしのために/イスラエルを治める者が出る。彼の出生は古く、永遠の昔にさかのぼる。
「エフラタのベツレヘム」とありますが、ベツレヘムは今でもキリストの生誕地だとしてクリスマスの時に報道されることがあります。エフラタは、イスラエルの父祖ヤコブの妻ラケルが葬られた場所だと創世記に記されています(35:19)。また、ルツ記では、ナオミの亡くなった夫エリメレクがベツレヘムのエフラタ族の者だったとも書かれています(1:2)。この町は、ヨシュア記によると「エフラタ、すなわちベツレヘム」(15:59)と記録されていますので、同じ町であったかもしれません。そして、次のサムエル記上に出てくることが、大きな影響を与えています。
ダビデは、ユダのベツレヘム出身のエフラタ人で、名をエッサイという人の息子であった。(サムエル上17:12)
ダビデの出身地がここなのです。ダビデはイスラエルで最大級に尊敬される初期の王であり、伝説が非常に詳しく聖書に残っています。イスラエルを救う王がやがて現れるという期待がユダヤにはありましたが、イエスはこのダビデの家系に属するということを、新約聖書は最初にどーんとぶつけてきます。
話が錯綜しましたが、ミカ書のこの場面こそが、イエスがベツレヘムで生まれたということの証拠になっている、実に有名な箇所なのです。新約聖書には、マタイとルカがどちらもベツレヘムにてイエスが生まれたことを記録しています。
イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。(マタイ2:1)
ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。(ルカ2:6-7)
そればかりか、ヨハネによる福音書もまた証言しています。
メシアはダビデの子孫で、ダビデのいた村ベツレヘムから出ると、聖書に書いてあるではないか。(ヨハネ7:42)
こちらは、イエスがメシアであるということを否定したい群衆がイエスに向かって浴びせた罵声ですから、もしかするとヨハネの舞台では、イエスはベツレヘム出身ではない、という前提になっていたのかもしれません。
ミカ書はこうして、新約聖書がイエスをベツレヘム出身とすることに意味をもたせる根拠となりました。それはダビデ王の再来こそが、イスラエルの救い主であるという期待に沿うものだったのです。しかしミカは、これをキリストだと呼ぶでなしに、イスラエルを救う王だとします。
5:3 彼は立って、群れを養う/主の力、神である主の御名の威厳をもって。彼らは安らかに住まう。今や、彼は大いなる者となり/その力が地の果てに及ぶからだ。
敢えてこれをとやかく説明することは控えます。この言葉を今日中心に据えますから、どうか、皆様がこの表現をしみじみ味わってください。
ミカが言うには、ベツレヘムという小さな町で、イスラエルの治者が出てくるということでした。やがて、失われた十部族、散ったサマリアのイスラエル民族の人々が、やがて戻ってくるのだという見方をミカは呈します(5:2)。ちょうど、大陸からの引き揚げ者を戦後の日本人が待っていたように、ぼろぼろになった北イスラエル王国の人々も、散った同胞がこの王のもとに戻り集まってくる幻を見ていることになります。
ミカは、この新しい王が「まさしく平和」であるといい、もはやアッシリアが襲ってきても勝利を収めると預言します。アッシリアの国に負けない王。ここで「ニムロド」というのは、アッシリアのことなのでしょう。創世記で不思議な言及があります。
10:8 クシュにはまた、ニムロドが生まれた。ニムロドは地上で最初の勇士となった。
10:9 彼は、主の御前に勇敢な狩人であり、「主の御前に勇敢な狩人ニムロドのようだ」という言い方がある。
聖書外の伝説では、バベルの塔の建設を命じた王だというものがあるそうです。このバベルの塔というのは、アッシリアの方にあるジッグラトという、ちょっとしたピラミッドのような建物をモデルにしているのではないか、という説が一般的ですが、聖書では、人類の叡智を誇るために神に迫ろうとした傲慢の象徴と見られています。
ニムロド自身はノアの曾孫でありながら、勇猛な腕で戦いに長けた者だったのかもしれず、聖書からではその後の行方は分からないのですが、イスラエルからすれば「反逆者」として、この民族を脱して暴れた者のように扱われているように見受けられます。
要らないようなところまで手を伸ばしてしまいました。戻りましょう。ミカの目に見えた北イスラエルの有様ですが、実はこの北イスラエルでは、有力者は次々とアッシリアに連れて行かれます。当時の方法なのでしょう。有名なバビロン捕囚でも大がかりな移動を経験することになりますが、このときも、北王国からは住民がアッシリアへ連行されます。しかし指導者がいなくなるとこの地域が不安定になります。政情もですが、産業的にも振るわなくなりますから、ある程度人数を補わなければなりません。しかも、イスラエル人がそれで増えれば、再び刃向かう集団となるかもしれませんから、アッシリア帝国は、帝国内の各地から移住者を集めます。つまりイスラエル人ではない周辺諸国の人間が次々とイスラエル領域に入って住むことになります。これを入植者と呼ぶことにすると、当然、元来のイスラエル人の割合は減りますし、入植者との混血の子孫が生まれ、増えることになります。そこに住む以上、イスラエルの文化は保たれたかもしれません。しかし、血筋は外国人の色合いが濃くなり、文化的にも新たな形に変わっていくようになります。
こうしてサマリアを中心とする北王国の土地では、血族的にも混血となり、文化的にも、ユダ王国の信仰とは袂を分かつことになります。モーセ五書は一部書き換えられたようなサマリア五書として、旧約としてはこれのみを尊重することになります。また、サマリア文字という少し異なる文字で書かれたものが近年死海文書の中から見つかっています。そして、エルサレム神殿のあるユダ王国側からすれば、純粋なユダヤの信仰から離れた汚らわしいものという目で見られることになりました。こうした背景に基づいて、有名な「善きサマリア人の譬」や、「サマリアの女の物語」が新約聖書に描かれることになりました。
入植者を政治的に送ることは、上に見たように旧地域の勢力を抑えるためにしばしば為されます。日本でも、島原・天草一揆で原城に立てこもった農民とキリシタンの軍が全滅した後、幕府はこの地を直轄領とし、周辺の諸藩から入植者を募り招き入れます。そして禅宗の僧を好遇し、住民の精神を換えようとします。キリシタンはいなくなったわけではありませんが、「反抗すればああなるぞ」という見せしめに、あの戦いがなったためか、以後大きな事件は起こりませんでした。為政者の考えることは、古今東西同じようなものなのでしょう。
先に申し上げたように、ミカ書が、新たな王の出現地としてベツレヘムを挙げたことは、新約聖書のマタイとルカが大きく取り上げました。当時の教会では、イエスがベツレヘムで生まれたということは、常識化していたのかもしれません。イエスの生まれたのは、ミカ書の預言から700年後のことです。当時、ユダヤ地方は今度はローマ帝国の支配下にありました。バビロン捕囚から帰還して小規模ながら神殿が再建されたものの、有名なアレクサンダー大王やシリアに支配されます。イエスの生まれる140年ほど前、旧約聖書続編に描かれたように、ユダヤ人が独立を勝ち取りましたが、ローマ帝国の力が及び、ヘロデ王によるローマの傀儡政権が成立します。
時折、ローマ帝国は残虐に圧政を敷いたかのような思い込みから説明されることがありますが、そんなことをしていたらあのような大帝国は継続できません。基本的に寛容に支配していたと思われます。だからこそ、ユダヤ人も宗教的には自由に自分たちの信仰をもつことができていたのです。イエスの目の前にあったのは、ローマ帝国による力というよりも、ローマと取引の上で権力をもつ傀儡のユダヤ王や、宗教的にエリート意識が強く精神的に庶民を圧迫していた、祭司関係やファリサイ派などの方で、そちらがよほどよくないものに見えたのではないでしょうか。
それでも、ユダヤの権力者グループは、宗教的にローマから完全に独立したいと思ったことでしょう。なんとも歯痒い思いをしていたと考えられます。イスラエルがかつてのような独立した王国をもちたいと夢見たのは、ユダヤ人全般の期待だったのかもしれません。なんとかその閉塞した情況を、栄光のイスラエル王国が再現することで打開したい、と。
閉塞した感覚というのは、いまの私たちももっているのではないかと思われます。日本経済は、半世紀前の高度成長期を下手に記憶しているが故に、悔しい思いをしている人々がいる一方、いまなお日本は実は凄いんだぞと言う幻影に囚われて、妙なプライドだけで近隣諸国を見下しているような人々もいます。少しでもこの国のことを悪く言うと「自虐的」だの「売国奴」だの責めてくるのだけはどうにかしてほしいと願うのですが。
大学に行けない大学生や、友人との交わりの制限された若者。学校ではマスクを外す食事のときはひたすら黙食(福岡のカレー店がバズらせたのだとか?)を命じられる小中高校生。精神的に子どもたちはよく耐えていますが、経済的に破綻するとなると耐える云々の話ではなくなります。学生はアルバイトの口を失い、雇う方も人手不足を味わうという矛盾した情況が現実に起こっています。企業の倒産も絶え間なく、飲食店や観光業界は壊滅的な打撃を受け、観光業で成り立つ京都市は自治体として財政破綻の危機をも迎えています。
キリスト教会も、教会員が減ることはあっても増える見込みがない様子。尤も、この教会の閉塞感はコロナ禍に起こったことではなく、この数十年ずっと言われていたことです。少子高齢化が、社会一般より前倒しで起こっていて、さらにそれが加速しているのがキリスト教会という世界なのでした。それなりに、何か自分が特権的地域にいるように勘違いし、世間を見下すような発言をする教会や信徒がそこかしこに見受けられるのは、ほんとうに心が痛みます。引きこもって世界を眺めているうちに、自分を神になったかのように勘違いしているのは、見苦しいというのを通り越えて、決定的に拙いでしょう。
ああ、辛いことばかり口にしてきました。これでは何の慰めにもなりません。悪口を言いたいのではないのです。苦しんでいる、行き詰まっている、そこに光を当てたいのが本心です。傷ついている人がいる。そんな人に向けて言っているのではないのに、他の人を非難でもしようものなら、この優しい人たちの方が、自分のことを言われているのかと傷つくのが常です。言葉を大切にするからこそ、自分を見つめ、言われた言葉を自分で受け止める。そして自分を責めることをまず考える。それは優しさの故でもあるはずなのですが、心は耐えきれなくもなっていきます。自分で気づかないほどに、耐えられなくなってしまっています。
救いがほしい。でも、救いが見えてこない。表向きは笑顔を見せるしかないことも分かっている。幸せそうな演技だって、できる。けれども、心の中は寂しくて、壊れそうだという人が、必ずいる。きっとこれが救いなのだ、と誰かを信じたら、裏切られ、騙されてしまうこともある……。
待ちましょう。まずは、待ちましょう。待てばよいことが保証されるのか? 確かに保証などされません。そして、何か自ら行動することも大切だ、と先週お話ししたばかりの私が言うのも奇妙ですが、もがいて動くことをよしとする前に、まず待つということを考えたいと思うのです。なぜって、待つ相手がキリストその方だからです。キリストに向けて私が何か手を貸すようなことは、基本的にないからです。むしろ下手に手を出すことは、誤った者に騙されることになる危険の方が大きいでしょう。
まやかしが多いのです。偽キリストだってどんどん出てくる、と新約聖書は警告しているのです。ですから、もう一度聖書の言葉を受け、そこに留まりましょう。
5:3 彼は立って、群れを養う/主の力、神である主の御名の威厳をもって。彼らは安らかに住まう。今や、彼は大いなる者となり/その力が地の果てに及ぶからだ。
聖書に立つ者は、この「彼」に具体的なイメージをもつことが許されています。イエス・キリストです。ミカがイエスをイメージしていたとは思えませんが、イスラエルを救う王の登場を考えていたならば、その王がキリストであるという答えを、私たちは手に入れたことになるということでよいと思うのです。
いま私たちは冬を迎え、クリスマスを待っています。クリスマスが冬だというきまりは勝手に信じる者が決めただけですが、それでもひとつの暦をつくったお陰で、私たちは主を待つということはどういうことか、毎年学ぶようになりました。
それで私は自分自身に問います。おまえは本当に、主を待っているのか、と。待っている。歯切れ良く答えましょう。でも、焦って偽物を掴まされてはなりません。しっかり目を覚ましていなさい、とイエスは福音書で再三再四忠告しています。聞こえのよい言葉に惹かれることは禁物です。体のいい誘いに乗ってしまいそうになるのが人間の性です。
5:3 彼は立って、群れを養う/主の力、神である主の御名の威厳をもって。彼らは安らかに住まう。今や、彼は大いなる者となり/その力が地の果てに及ぶからだ。
イエス・キリストを待ちましょう。クリスマスとは何なのか、くどいくらい問い直しながら、じっと待つことを、自らに戒めるようにしましょう。大いなる者の力が地の果てに及ぶ約束を胸に懐きながら、待ちましょう。
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