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逆宣伝
芸術の秋。ネット上には、ちょっとしたコンサートのお知らせが掲示される。三四日前になって掲示して、果たして人を呼ぶつもりがあるのか、と思われるようなものもあるが、素人が演奏するというのは、その程度のものなのかもしれない。もちろん、入場無料であろう。が、いま目の前に見ているものは、その情報がない。料金がかかるのか、無料なのか、どこにも書かれていない。
プログラムはある。が、そこに並ぶのは、出場者の名前だけ。世間に知られているようなグループではない。ひとつ、高校の女生徒が一部演奏するらしいことは分かるが、ほかはそのグループ内部の素人である。とても、ネームバリューで呼ぶようなものではない。
そこには、演奏曲目の情報も、全くない。普通、コンサートとなれば、素人でも無料のお誘いでも、曲目の紹介くらいあるはずである。いったいこのポスター掲示は、何のためになされているのだろうか。単に仲間内での発表会はもちろんやってもよいだろうが、どうも文言としては、皆さん来てください、というようなふうに見える。だが、一般の人を呼ぶような気配がどうにも感じられないわけである。
ポピュラーなアーチストのコンサートであれば、そのアーチストの名前さえあれば十分であろう。たくさん演奏をするだろうし、客は、そのアーチストに会いに行くのであって、どんな曲を演奏してくれるのか、楽しみにしていればよいのだと思う。
あるいは、大学祭のステージで演奏するユニットであれば、大学祭を彩るひとつのステージであればよいわけで、学生が気楽に立ち寄るという人が殆どであろう。大学内の、いわば内輪の催しのようなものであるから、曲目を掲示する必要はないだろう。大学祭は、学外の人も来るが、掘り出し物に出会えれば、それはそれでステキだという気分であって構わないのである。
こうなると、やはりあのコンサートのお知らせは、仲間のためのものだけなのであって、無料であることも周知の人だけに呼びかける、極めて閉鎖的なものであった、としか考えられない。
キリスト教会を中心として、ウェブでのアピールをする関係のお仕事の方が、SNSで言っていた。教会のウェブサイトの中に、とんでもないものが時折見られるのだという。礼拝がいつ、何時に始まるのか、どこにも書かれていないものがあるのだそうだ。よく見ると非常に目立たないところまで探っていったときに、それが見つかるものも多いのだという。
教会は何のためにウェブサイトを開いているのか。もちろん教会員への告知のためにも便利なツールである。だが、教会外の社会や人々に、教会のことを知らせ、そしておそらく本音のところでは、教会に来てほしい、礼拝を経験してほしい、ということが非常に大きな目的であるはずである。だから、殆どの教会のウェブサイトには、「お待ちしております」とか「お気軽にお越し下さい」とかの誘い文句がある。だが、そのうちの何割かのサイトを見ても、礼拝日時すらよく分からず、どういう準備をして来ればよいのか、情報がない。そういうことを、そのお仕事の人は指摘していた。
情報を出さない。秘密結社はもちろん、そうするだろう。仲間だけで仲良くしていればよい、という催しも、もちろんあってもいい。すべて事情が分かっている人にだけ伝わるようなものを、ウェブサイトで掲示してはいけない、という決まりはない。だが、表向き広く掲示しておいて、なおも情報を示さないということは、外から人を招きたい気持ちがない、という「情報」を伝えてしまうことになる。それを見た一般の人は、そう思うのだ。これは外の人を拒んでいる組織なのだ、と。さらに、「お問い合わせ先」が案内されているならば、「情報を知りたければ電話してこい」という、不遜な態度を宣伝してしまうことにもなる。
もちろん、そういう組織であることを宣伝するためならば、それは大変成功している、と賞賛すべきであろう。そう言えば、車体に会社の名前を大きく記した車が街をよく走っているが、乱暴な運転をしているのを見ると、その会社をマイナスに宣伝していることになる、といつも悲しく思うものである。